沖縄・少女暴行事件から25年 県民の怒りで「普天間返還」契機になるも…変わらぬ現状 (3/5) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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沖縄・少女暴行事件から25年 県民の怒りで「普天間返還」契機になるも…変わらぬ現状

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渡辺豪AERA#沖縄問題
米兵による少女暴行事件に対し、抗議のために開かれた県民大会。主催者発表で8万5千人が集まった/1995年10月21日、沖縄県宜野湾市 (c)朝日新聞社

米兵による少女暴行事件に対し、抗議のために開かれた県民大会。主催者発表で8万5千人が集まった/1995年10月21日、沖縄県宜野湾市 (c)朝日新聞社

AERA 2020年9月7日号より

AERA 2020年9月7日号より

 立岩さんは事件の背景にある基地問題の取材に取り組んだ。米兵の本音に迫ろうと、基地周辺でマイクを向け、「被害者は1人だけなのに、なぜこんなに騒いでいるのか」と語る兵士の声も収めた。リポートは全国中継で報じられ、スタジオのキャスターが兵士の発言を「不快」と憤った。主観を露わにしたキャスターのコメントは「NHK内部で物議を醸した」(立岩さん)というが、立岩さんには別の記憶も強く印象に残っている。

 数日後、取材で訪ねた県幹部の自宅を辞す際、幹部の妻が「NHKのキャスターさんが、あれほど沖縄のことを考えてくださって……」と涙をこぼしながら見送ってくれたのだ。

 一方、市議だった山内さんが想起したのは、55年の「由美子ちゃん事件」だ。幼稚園児が米軍人に性的暴行を加えられた上で惨殺、遺体は遺棄された。犯人の米軍人は逮捕され、軍法会議で死刑判決が言い渡された後、45年間の重労働に減刑。米本国に送還後はわからない。

 被害者の自宅は山内さんの実家の近くで、一家とは顔見知りだった。沖縄では広く語り継がれてきた事件だが、山内さんは高校生になるまで被害者家族が隣人であることを知らなかった。

「周囲の大人はそれぐらい、事件の話題をタブーにしていました」(山内さん)

 両親は一度も取材を受けず、近親者にすら一言も語らないまま亡くなったという。

 少女暴行事件がおきたのは、40年後の同じ9月の、わずか1日違いだった。発生当初、山内さんは被害者の心情を慮るばかりで抗議行動は頭に浮かばなかったという。沖縄世論の流れを変えたのは日本政府の対応だ。

「身柄が米側にあれば起訴まで米側が拘禁する」と定める日米地位協定17条を理由に、米軍は容疑者の起訴前の身柄引き渡しを拒んだ。沖縄で協定見直しの声が高まると、日本政府は早々に米側に見直しを提起しない方針を表明。上京して見直しを求めた大田知事を、外相は「いささか議論が走りすぎている」とはねつけた。


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