オンラインであれば、IT企業のプレゼンのような凝った演出がいくらでも可能である。しかし学校説明会はビジネスパーソンのプレゼンとは違う。それよりはむしろ“お見合い”に近い場だ。“盛る”のではなく“素の自分”を出してくれる相手でないと信用できない。

 自分をある程度よく見せようとするのは仕方がないにしても、限度を超えれば「格好つけすぎ」に映るはず。過度な演出は、なんらかのコンプレックスの裏返しだと考えるべきだろう。

 また、はやりのカタカナ言葉を多用する学校もまゆつばだ。学校ホームページや学校パンフレットも同様のことが言える。

 世の中の変化を敏感に捉えていることは評価できるが、それを実際の教育にまで浸透させている学校は、借り物の言葉をそのまま使用したりはせず、自分たちの教育理念や建学の精神に照らし合わせて必ず自分たちの言葉に言い換えて使用する。それが借り物のままなら、むしろ世の中の変化に振り回されている証しだと見ていい。(教育ジャーナリスト・おおたとしまさ)

AERA 2020年7月6日号より抜粋