(写真右)いわた・けんたろう/1971年生まれ。医師。神戸大学病院感染症内科教授。(写真左)うちだ・たつる/1950年生まれ。思想家、武道家。神戸女学院大学名誉教授。(写真/楠本涼)
(写真右)いわた・けんたろう/1971年生まれ。医師。神戸大学病院感染症内科教授。(写真左)うちだ・たつる/1950年生まれ。思想家、武道家。神戸女学院大学名誉教授。(写真/楠本涼)
緊急事態宣言が出された7日の夜。いつもなら人いきれの東京・新宿駅前は人影もまばらだが、足を止めて街頭のスクリーンを見上げる姿が目立った(撮影/小山幸佑)
緊急事態宣言が出された7日の夜。いつもなら人いきれの東京・新宿駅前は人影もまばらだが、足を止めて街頭のスクリーンを見上げる姿が目立った(撮影/小山幸佑)

 前例なき緊急事態宣言が打ち出された長い夜。ウイルスとの闘いは次なるフェーズへと移った。宣言から遡ること4日前──神戸大学病院感染症内科の岩田健太郎教授が、本誌コラムニストの思想家・内田樹氏とAERA2020年4月20日号で緊急対談した。その中から、ここでは「外出自粛の要請」までに時間がかかった政府の対応について論じる。

【写真】緊急事態宣言が出された7日の夜、いつもは人であふれる東京・新宿駅前は…

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―─緊急事態宣言が発令されたのは4月7日のこと。対談が行われた3日は、政府が発出をためらっている段階だった。一方で、医師などからは一刻も早い「宣言」を望む声があった。

内田樹(以下、内田):行政が決断を下すのにこれほど時間がかかるのは、どういう理由によるのでしょうか?

岩田健太郎(以下、岩田):いちばん考えられる原因は、「プランB」を用意していなかったことです。日本政府や厚生労働省は伝統的に、事前の予測に基づく計画を予定通り実行することに関しては極めて有能です。今回でいえば、感染症を抑え込むために病院に何床ベッドが必要か、治療にあたる医師や医療スタッフが何人どこに必要か、綿密な計画を優秀な官僚が立てていたはずです。

 問題は、事態がそのレールから外れたときです。当初のプランAが軌道に乗っているうちは安心ですが、それが崩れた時の想定をしていない。予想していた患者数を大幅に超えてプランが破綻したときに、方向転換のタイミングが極めて遅いんです。

内田:シナリオが複数用意されていないわけですね。

岩田:はい、政治家も官僚も路線変更に抵抗して、「まだ上手く進んでいる」と現状のプランにしがみつき、ひどい場合には「このプラン以外はありえない」と言い出します。典型的なのが東京五輪です。「来年の7月にオリンピック開催して大丈夫ですか?」と複数のメディアに聞かれましたが、生物学的に来年7月までにウイルスが日本から根絶される保証は一つもありません。ですので「ダメかもしれません」と答えました。しかし政治家たちは「日本にはワクチンや薬を開発する力があるし、できるはずだ。それ以外にない」と言うわけです。

内田:日本政府がコロナに対して3月半ばまで真剣な対応をとらなかったのは、「東京五輪を中止したくない」という強い願望があったからだと思いますが。

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