岩田:誰も決断を下さず「オリンピックの開催は無理だよね」という空気を徐々に醸成していって、ようやく延期に踏み切った感じがしますね。東京のロックダウンのような制限が遅れているのも、経済的損失を恐れて「封鎖やむなし」の空気の醸成を待っている感じがします。しかし、手術せずに痛み止めを飲み続けていても、いずれ必ず手遅れになります。一刻も早い、「大手術」の決断が必要です。

内田:僕もそう思います。

岩田:私たち医者は予言者ではありません。治療にあたっては常に複数のシナリオを作ります。今回の新型コロナも1月に武漢で発生したときに、八つほど想定シナリオを作りました。残念ながらその中で最悪のシナリオが現実になりつつありますが、基本的にどのシナリオになっても対応できるよう準備しておくことが大切なんです。内田先生がお詳しい武道でいえば、「相手はこう来る」と決め打ちするのではなく、どう攻撃してきても対処できるようにしておくという感じでしょうか。

内田:よくわかります。プランAがダメだったときのためにプランB、プランCを用意しておくという発想そのものが日本社会にはありません。どこでもそうです。僕は何ごとによらずとりあえず「最悪の事態」を想定しておくという、日本社会では少数派なんですけれども、大学在職中はそれでよく叱られました。「最悪の事態を想定すると、それが現実になるんだ」と。

岩田:そんなことが(笑)。

内田:ほんとにそうなんです。人口減で18歳人口が減ってゆくのだから、大学の教育水準を維持するためには定員を減らし、ダウンサイジングすることが必要だと僕は思ったんですけれど、それは絶対ダメだと怒鳴られました。予算が減り、人員が減りという環境に置かれたら、研究も教育もやる気がなくなるのだ、と。人間というのは「右肩上がり」の話をしていないと生きる力が出ない生き物なんだ。内田君は人間というものがわかっていないと説教されました。

岩田:そこまで、ですか。

内田:でも今思い返すと、その説教には一理ありました。たしかに日本人はそうなのかもしれない。「最悪の事態」を想定して、うっかりそれを口に出すと、集団のパフォーマンスが下がるということが日本の場合は経験的事実としてあるんじゃないでしょうか。かつて帝国陸軍の戦争指導部も、皇軍大勝利というシナリオを起案する参謀だけが出世して、後退戦での被害を最小限に食い止める方法を考える現実主義者は冷遇された。今回、日露戦争以来の「プランBを考えることをしない国民性」が際立ったように思います。

(文・構成/大越裕)

AERA 2020年4月20日号より抜粋