「彼はとってもが好き。最初にデンマークの私の家に来たときは、毎日うちの2匹の猫と遊んでいました。16年の来訪時はお城に宿泊したのですが、そこに左右の目の色が違うオッドアイの猫がいたんです。ついに猫が姿を現したとき、彼は他の人と話の途中でしたが『あ!』と猫を追いかけていきました(笑)。でも私たちは友だち関係ではありません。彼と会うときはいつも緊張します。そこには明確な線が引かれているのです」

 翻訳者とはあくまでも作家を探り求める存在なのだ。

「何度も何度も本を読み、その人を理解しようとします。それに私は彼の本で翻訳を学んできました。だからアイデンティティーの半分くらい彼とともにあるかもしれない」

 現在、1年間の予定で日本で古民家暮らしをしている。

「『枕草子』の勉強やお茶や生け花も学びたいんです。猫を預けてきたのが寂しいけれど、でも彼女はちっとも寂しがっていないみたい(笑)」

◎「ドリーミング村上春樹」
監督は1988年生まれのニテーシュ・アンジャーン。メッテの翻訳で村上文学への理解を深めたという。公開中

■もう1本おすすめDVD「ドストエフスキーと愛に生きる」

 作家の世界をどれだけ正確に翻訳するか。極限まで悩みぬくメッテ・ホルムの姿を見ながら思い出したのが「ドストエフスキーと愛に生きる」(2009年)。ロシアの文豪ドストエフスキーの作品を長年ドイツ語に翻訳してきた、スヴェトラーナ・ガイヤーのドキュメンタリーだ。

 撮影時84歳の彼女は毎朝、緑あふれる窓辺で、辞書を手に本と向き合う。その姿は静謐に張りつめていて、観ているこちらの姿勢が正されるほどだ。さらに素敵なのがその暮らしぶり。日々の食事を丁寧に作り、アイロンがけにすら哲学を感じる。

 丁寧に、正確に。翻訳家の生きざまは、日々の暮らしにも表れるのだろうか。「ドリーミング村上春樹」に登場するメッテの家や日常も、同様に魅力的なのだ。

 やがて映画はスヴェトラーナの人生を描き出す。そこには想像を超えるドラマがあった。ウクライナに生まれた彼女はドイツ語を学ぶことでナチス・ドイツ時代を生き延びた。死んでいった同胞や友人への贖罪を背負って生きてきたと彼女は告白する。

 メッテの人生もまたドラマに満ちている。ぜひ映画館で確認してほしい。

◎「ドストエフスキーと愛に生きる」
発売元:アップリンク 販売元:TCエンタテインメント
価格3800円+税/DVD発売中

(フリーランス記者・中村千晶)

AERA 2019年10月28日号