内田也哉子(うちだ・ややこ)/1976年生まれ、文筆家、翻訳家。音楽ユニットsighboatのメンバー。近著に『9月1日 母からのバトン』(ポプラ社)。『この世を生き切る醍醐味』(朝日新書)に也哉子さんのインタビューも収められている(撮影/写真部・加藤夏子)
内田也哉子(うちだ・ややこ)/1976年生まれ、文筆家、翻訳家。音楽ユニットsighboatのメンバー。近著に『9月1日 母からのバトン』(ポプラ社)。『この世を生き切る醍醐味』(朝日新書)に也哉子さんのインタビューも収められている(撮影/写真部・加藤夏子)

 母・樹木希林さんと父・内田裕也さんの葬儀での挨拶は多くの感動を呼んだ。内田也哉子さんのその瑞々しい感性はどう育まれたのか。AERA 2019年10月14日号に掲載された記事を紹介する。

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――母と父の葬儀での内田也哉子さんの挨拶は、多くの共感や感動を呼んだ。イメージを喚起させる、豊かな言葉はどう育まれたのか。

 私は幼稚園と小学校はインターナショナルスクールに通い、英語環境のなか学びました。英才教育のためではなく、外国人の中なら親が芸能人でもわからないだろう、と。当時、両親がマスコミに騒がれていたこともあって、日本の幼稚園には入園を断られたんです。

 言語は、言葉の響きから入って、真似しながら身につけてきました。音楽として私の中に入っているのです。中学生のときフランス語を勉強したいと思ったのも、フランス語の響きが心地良かったから。あの言葉の響きを奏でたいと思いました。

 文章を書くときも、響きに惹かれて書きつらねることもあります。聞いたことのない言葉の組み合わせだけれど、どうだろうって。「間違っています」と編集者に言われることもありますけれどね(笑)。

 日本語が自分にとって一番性に合っているのは、母が日本語をこよなく愛していたからだと思います。日本語の豊かさや複雑さをいつも面白がって話してくれました。

 言葉といえば、「試しに」は母の口癖でした。私が19歳で本木雅弘さんと結婚したいと言ったときも「試しにしてみれば」って(笑)。物事はガチガチに決めても、必ず思い通りにいかないときが来る。失敗したらそこから始めればいい。だから「気負わず、気楽に面白がればいい」とよく言っていました。「心を固めすぎない」ほうが生きやすいのよ、と。試行錯誤を重ねてきた、母らしい言葉です。

――母の没後、語録集がたくさん出版され人気を呼んでいるが、ジレンマもあった。

 生前、母は本を出さないと公言していたので、これほど多くの本が出たことについて後ろめたさも感じています。一方で、母は仕事用の留守番電話に「二次使用はどうぞ使ってください」と吹き込んでもいたため、出版のオファーにどう対処すればいいか。すごく悩みました。

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