天皇陛下の戦争被害国への訪問に見る「和解」の難しさ (1/3) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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天皇陛下の戦争被害国への訪問に見る「和解」の難しさ

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北野隆一AERA#皇室

万里の長城を歩く天皇、皇后両陛下。2018年に李克強首相が訪日した際、天皇陛下は「中国の人々の温かい歓迎を受けたことを懐かしく思い出します」と振り返った/1992年10月24日、北京市郊外の八達嶺で (c)朝日新聞社

万里の長城を歩く天皇、皇后両陛下。2018年に李克強首相が訪日した際、天皇陛下は「中国の人々の温かい歓迎を受けたことを懐かしく思い出します」と振り返った/1992年10月24日、北京市郊外の八達嶺で (c)朝日新聞社

天皇、皇后両陛下や英女王が乗った馬車列のパレードに背を向け、英国人の元日本軍捕虜らが抗議した/1998年5月26日、ロンドン中心部の「ザ・マル」で (c)朝日新聞社

天皇、皇后両陛下や英女王が乗った馬車列のパレードに背を向け、英国人の元日本軍捕虜らが抗議した/1998年5月26日、ロンドン中心部の「ザ・マル」で (c)朝日新聞社

 4月末に退位する天皇陛下は、皇后さまとともに即位以来19回28カ国、皇太子時代から数えると51カ国もの国々を訪れてきた。なかには日本による戦争の被害を受けた国もあり、訪問の実現に向け尽力した人たちがいた。朝日新聞編集委員の北野隆一氏がレポートする。

【天皇、皇后両陛下に英国人の元日本軍捕虜らが抗議する写真はこちら】

*  *  *
 天皇陛下と皇后さまを乗せた車が、中国・上海随一の繁華街をゆっくりと走る。沿道を埋めた数十万人の人たちが、歓声をあげながら拍手で迎えた。

「両陛下の訪中は、橋本恕(ひろし)・中国大使が命をかけて実現させた」

 1992年当時、駐中国公使だった槙田邦彦さん(74)は、振り返る。

 先代からの宿題だった天皇訪中には、自民党内の保守派を中心に「天皇の政治利用だ」「謝罪外交ではないか」などとして、強い反対の声があった。橋本さんは日本に帰国し、有力政治家らを直接説得してまわった。宮沢喜一首相から「国内の異論を抑えてくれ」と指示があったという。橋本さんは「説得は、本来は首相自身がやるべきなのに、なぜ官僚の私が……」ともらしていたという。

「訪問先で危険なことがあったらどうするのか」との懸念もあった。「天皇訪中反対」などとプラカードを掲げる反日デモがあったら、訪中は失敗とされかねない。懸念する日本側に対し、中国側は万全の警備を約束。「問題分子は事前に北京市外に隔離する」とまで断言した。

 訪中初日の92年10月23日。北京空港から市内の釣魚台(ちょうぎょだい)迎賓館までの道路は数メートルおきに人民解放軍兵士が立った。視察先の故宮博物院は観光客らを締め出し、代わりに公安警察官やその家族らが一般の入場者に扮したという。「日本ではあり得ないことだが、中国はそこまでやる国だった」と槙田さんはいう。

 訪問先のうち、首都北京は共産党や政府の指導者の歓迎儀式があり、古都西安は歴史文化に触れる日程。3カ所目の上海は「人との触れあい」がテーマとなった。

 上海市政府は「南京路(なんきんろ)」など上海で最もにぎわう繁華街の視察を提案した。総領事だった蓮見義博さん(85)は、警備上の懸念があるとして当初は否定的だった。しかし中国側の担当者は、「上海の本当の姿をご覧いただくには、繁華街をご視察になるのが効果的。安全面は公安局が万全を期す。総領事を困らせるようなことはしない」と熱心に勧めた。


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