男子高校出身。在学3年間で家族以外の異性と会話したのは、わずか3回ほどだったという。

「電車で中学校時代の同級生に会って挨拶するとか、その程度。同性のグループでたわいもない会話をすることはできましたが、異性としっかり目を合わせて会話する機会はなかったし、『自分を見られる』という経験もほとんどなかったんです」

 同性ならば多少マシだが、それでもごく親しい人以外の視線はストレスだったという。相手にどう見られるのかが不安で、なるべく目につかないよう、見られないようにこそこそとふるまってしまう。目を合わせるのが怖い。そんな状態で、同性の一部のクラスメートとしか会話をしなかった。彼に話しかける人も少なくなり、人間関係の広がりは限られた。

 しかし大学での学期が進むにつれ、授業の課題やリポートなどをこなすのに、異性も含めた多くの人とコミュニケーションをとる必要が出てきた。当然、授業のノートや定期試験の過去問も手に入らない。このままでは大学生活を送れない。そんな強い危機感を覚えた。まさに留年の半歩手前だったという。「男子校出身だから」と言うなかれ。根っこをたどれば視線耐性に行き着く。経験の少なさが視線耐性の低さにつながった例だ。(編集部・川口穣、ライター・我妻弘崇)

AERA 2019年2月4日号より抜粋