【病める子I】1896年 リトグラフ/「病める子」は1886年に第1作が描かれた連作。15歳の姉ソフィエを結核で亡くした経験がきっかけだったとされる (c)Munchmuseet
【病める子I】1896年 リトグラフ/「病める子」は1886年に第1作が描かれた連作。15歳の姉ソフィエを結核で亡くした経験がきっかけだったとされる (c)Munchmuseet
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<メタボリズム>の前のセルフポートレート、エーケリー 1931-32年/モダン・プリント68歳ごろの「自撮り」。生涯に多くの自画像を残した/「ムンク展─共鳴する魂の叫び」は東京・上野の東京都美術館で2019年1月20日まで開催 (c)Munchmuseet
<メタボリズム>の前のセルフポートレート、エーケリー 1931-32年/モダン・プリント68歳ごろの「自撮り」。生涯に多くの自画像を残した/「ムンク展─共鳴する魂の叫び」は東京・上野の東京都美術館で2019年1月20日まで開催 (c)Munchmuseet

「叫び」で知られるノルウェー出身の画家ムンクは、何かにつけて心情を書きつけ、「自撮り」もするこじらせ男子だった。80歳で天寿をまっとうするまで独身を貫いたムンクの生涯をたどった。

【写真特集】「ムンク展-共鳴する魂の叫び」の作品を特別公開

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 もしも現代に彼が生きていたら、インスタグラムで多くのフォロワーを集めるインフルエンサーになっていただろう。長身のイケメンながら、こじらせ男子。愛用のコダックのカメラを自分に向けて自撮りもした。ノートやスケッチブックには、何かにつけて心情を綴ってもいる。その彼とは、ノルウェー生まれの画家、エドヴァルド・ムンクだ。

「叫び」が有名すぎるくらい有名だが、実は80歳で天寿をまっとうするまで絵を描き続け、生涯で油彩画だけで1150点以上の作品を残した。それも、上の作品「病める子I」のように、繊細なリトグラフがあり、かと思えばどんより重い「叫び」の連作があり、当時まだ珍しい写真を使った作品もあった。

 波乱の人生に翻弄された一様ではない心のうちを、そのつど画面にぶつけたからかもしれない。あの「叫び」のムンクがたった一人で生み出したとは思えないほど、技法や作風はバリエーションに富んでいる。そしてそのときどきの心情を、まるでつぶやくように、こまめに文字にして残している。

 フォロワーたちを引きつけてやまない、その波瀾万丈な生涯をおさらいしてみよう。ムンクは1863年、軍医だった父、クリスチャン・ムンクと母、ラウラの第2子として生まれた。最初の波乱が起こったのは、ムンクが5歳のとき。母ラウラが結核のため、5人の子を残し、30歳という若さで世を去る。

 この死をきっかけに、父は塞ぎ込み、家は重苦しい空気に包まれるようになる。母は、きょうだいのなかでも病弱だったムンクの健康を心配していたというが、ムンクが14歳のときには、一つ年上の姉ソフィエが母と同じ結核で亡くなってしまう。

「病、狂気、死、それらは私のゆりかごのそばにつきそう黒い天使だった。以来、それらは私の人生につねにつきまとった」

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