中園:二人とも役に入り込まれていました。撮影も維新後になると、瑛太さんは楽屋に籠って役作りをされていて、鈴木さんは体重を増やすために、お見かけするといつもバナナなど召し上がっていて。膨らんだおなか、綿を入れていると思ったら、自前なんですよ。「自分は不器用だから、体から作っていかないとできない」とおっしゃっていたけれど、まるで西郷が乗りうつったようでした。

西郷:大河の脚本を書くのは、大変なお仕事でしょう?

中園:脱稿してしばらく経ちますが、まだ呆けています。「西郷どん」ロスですね。西南戦争前後を書いていたとき、実は不思議なことがあったんです。窓を閉め切ってエアコンをつけているのに、馴染みのない苦そうなタバコの匂いがするんです。西郷はキセルが好きで、大久保もヘビースモーカーだったそうですから、二人が「しっかり書け」と見張りに来てくれたんじゃないかと思って。すごくうれしくなりました。

西郷:西郷を描くことになったきっかけはなんですか?

中園:3年ほど前、「西郷どん」原作の林真理子さんと鹿児島に行ったんです。そこで、西郷のダイナミックで人間らしい人生を知りました。それまで西郷のイメージは「ひたすらすごい人」。林さんと「こんな人間らしい西郷なら私たちにも書けるかも」と話したんです。

中園:西郷を描くのが私たちでいいのか、迷いもありました。西郷と、藩命により奄美大島に潜居していた時の妻、愛加那さん(以下愛加那)の話を敬愛する田辺聖子さんが書こうとしていたと聞いて、林さんは書くと決意したそうです。愛加那はどんな女性だったんですか?

西郷:あまり聞かされていませんが、働き者だったと。結婚式も挙げていて戸籍謄本もあるから、西郷にとって、とても大切な女性だったのでしょう。愛加那を鹿児島に呼ぶ用意があるという手紙も見つかっています。

中園:西郷は頻繁に米や手紙を送り、「戦が終わったら奄美で一緒に畑で働こう」とも書いていますね。

西郷:薩摩に呼び戻されていなかったら、奄美に残ってそんな暮らしをしていたと思います。

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