かくれキリシタンの島 命がけで450年も守り抜いた信仰は風前のともしび (1/3) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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かくれキリシタンの島 命がけで450年も守り抜いた信仰は風前のともしび

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野村昌二AERA
ガスパル様。1609年に生月島の信徒を指導した西玄可(にしげんか。洗礼名ガスパル)が殉教した場所。1992年、カトリック信徒によって巨大な十字架が建てられたという。対岸の中江ノ島を望む(撮影/編集部・野村昌ニ)

ガスパル様。1609年に生月島の信徒を指導した西玄可(にしげんか。洗礼名ガスパル)が殉教した場所。1992年、カトリック信徒によって巨大な十字架が建てられたという。対岸の中江ノ島を望む(撮影/編集部・野村昌ニ)

 この夏、世界文化遺産への登録が正式に決まった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」。長崎県平戸市の西北、東シナ海に浮かぶ生月島(いきつきしま)には、禁教が解かれた後も「かくれ」続けた人たちがいる。

【写真特集】信仰貫いたかくれキリシタン

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 島を巡ると、キリスト教弾圧で亡くなった殉教者の史跡が散在する。信徒の家族が処刑されたといわれる「ダンジク様」や、島の指導者の殉教地「ガスパル様」など、多くが人家から離れたところにある。追いつめられたすえの殉教だった。

 島の漁師、川崎雅市(まさいち)さん(68)は、代々熱心なかくれキリシタンの信者の家の長男だ。物心がついたころから信仰は身近にあり、自然と神様が家族の中にいるように感じていたという。

 17歳から遠洋巻き網船に乗り込み、北海道や三陸沖で魚を追った。しけで海が荒れるなど不安な時は「見守ってください」と心の中で拝んだ。巻き網船が減船で消滅し、50歳を過ぎて定置網漁に移った。ちょうどそのころ、「オヤジ様」の立場を父から引き継いだ。

 御前様を守り、行事を取り仕切るのがオヤジ様だ。代々、その家の長男が引き継ぐことになっている。

「後継者としてやらんばいかんという気持ちでした」(川崎さん)

 川崎家の居間には、御前様、二つの仏壇、神棚の計四つが横一列に並ぶ。

 従来、かくれキリシタン信仰は禁教時代に仏教や神道を混ぜ合わせ独特の信仰形式をとるようになったといわれてきた。だが生月島にある博物館「島の館(やかた)」の学芸員・中園成生(しげお)さん(55)は、必ずしもそうではなく、個々の信仰が独立して併存していたと指摘する。

「たとえば、葬式はかくれキリシタンと仏教双方の形式で一通り行っている。キリシタン以外の信仰も単なる見せかけではなく、共存させた多信仰の状態であったといったほうが実態に合う。そもそも日本人の多くは、仏教と神道を併存させています」

 川崎家は近くのお寺の檀家でもあり、川崎さんに宗教を問うと「真言宗」と答える。御前様も仏様も神様も、気持ちの中では同列という。


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