しかし第2次大戦後、学校では受験指導を行わないことになった。米国の教育思想の影響である。そこに塾のニーズが拡大した。

 単線型学校制度では、同世代の子どもたちが一斉に同じレールの上を行く。序列化は避けられない。わが子に少しでも良い社会的地位を得させるため、教育熱は高まる。50年代には4割程度だった高校進学率が74年には9割を超えた。70年代には東京で中学受験ブームも起きた。親はますます塾の力を頼るようになる。

 この間、塾の数は爆発的に増え、過当競争が起き、さらに受験業界は過熱した。
70年代後半には「乱塾」という言葉すら誕生し、学校教育を阻害する存在として、バッシングの対象になった。

 79年に共通1次試験が始まると、偏差値による大学の序列化が一気に進む。90年前後に第2次ベビーブーマーが受験期を迎え、浪人生が激増し、学校法人の予備校が巨大化する。こうしていわゆる「偏差値教育」が教育界を席巻した。その受験文化から、私たちはいまだに抜け出せていない。

 もし今、この国で塾や予備校の存在を否定したら、保護者たちは学校に、進学指導の強化を迫るだろう。運動会や遠足といった文化活動はなくなり、主要教科以外の授業数も減らして、受験指導を増やすように求める声は高まるだろう。実際いま、塾のように、進学実績をウリにして生徒を集める進学校は私立・公立を問わず多い。

 塾があることで、学校は全人教育の現場を保てているという側面があるのだ。

 受験競争を緩和し、教育の原点に立ち返ろうと現在、大学入試改革が盛んに議論されているが、その雲行きは怪しい。偏差値教育から脱する方法はないのか。学校という枠組みに収まりきらない子どもたちが輝く場所はつくれないか。その思いの結晶が、たとえば冒頭のイモニイの塾なのである。

「自分で考えるのがどんどん楽しくなって目を輝かせているあの『プルッ』とした躍動感が好きなんです。子どもたちにこんなことを教えようとか、こんな力を引き出そうとか、そんな発想は一切ありません」(イモニイ)

 だから課題は何でもいい。カプラを使うこともあれば、イモニイが作成したプリント教材のこともある。哲学的な問いをテーマに、ディスカッションをしたこともある。

「僕はただ、目の前の子どもたちだけを見て、ありのままの彼らを承認しているだけなんです」(同)

 いまのところ生徒の一般募集はしていない。教室にいるのは縁あって集まった子どもたち。普通の公立中の生徒もいれば、有名私立進学校の生徒もいる。「学校」という枠組みに、窮屈さを感じている子も実は少なくない。「プルッと体験」に引き寄せられるようにして集まり、増えていったのだ。この教室で、彼らは水を得た魚のように学ぶ。ここでは、のびのびと「自分」を出すことができる。(教育ジャーナリスト・おおたとしまさ)

※AERA 2018年9月24日号より抜粋