6日の「麻原執行」後、ご家族等と予定がぶつからないよう確認の上、週明けの9日月曜朝に小菅を訪ねた。さすがにやつれきっていた。彼も彼を囲む人々も、私自身も大変に焦燥して厳しい一週間になった。覚悟して迎えた13日金曜、生存を確認して訪れた時の彼の表情を私は生涯忘れない。この金曜を乗り越えて明らかに彼は強くなった。こんな拷問に人は適応してよいのか?という疑問。そしてこんな状況にすら気丈に立ち向かう豊田君の姿。

「残された時間を精一杯生きる」と、落ち着いた表情で語る豊田君と、私はブロックチェーンや暗号の数理を考え、エジプト式分数を一緒に計算し、古代ハンムラビ法典の野蛮と中世イスラム法の寛容の差を議論した。

 今だから記すが、兵庫出身の豊田君は手元にあった現金にいくばくか足し、匿名で西日本豪雨被害者救済の義援金に全額寄付して身辺を整理した。

 3月にオウムの死刑確定者が各地の拘置所に移された際、豊田君も東京拘置所内で収監される階が変わり、昔長らく在房した階に戻った。彼は明らかに看守諸氏から一目以上置かれ、大切に遇されていた。9日に面会したときは、被害者への贖罪の言葉とともに「命の限り贖罪し、社会に役立ちたい」と語っていた。こんな人を亡きものにしてはいけない、今後も再発防止などもっともっと働いてもらわなければならなかった。最後の2回の接見で彼はこう繰り返した。

「日本社会は誰かを悪者にして吊し上げて留飲を下げると、また平気で同じミスを犯す。自分の責任は自分で取るけれど、それだけでは何も解決しない。ちゃんともとから断たなければ」

 大切な人を今日失ったはずだが未だ全く実感ない。(作曲家・指揮者 伊東乾)

【訂正とお詫び】
 文中に、学生を連れて接見したという記述がありましたが、事実ではありませんので削除しました。編集部が誤って加筆したもので、筆者への確認が不十分でした。伊東乾さんと関係者、読者にお詫び申し上げます。(アエラ編集部)

AERA 2018年8月10日号