星野:AERA(14年12月8日号)でも雨傘運動のルポを書いたんですけど、「種がまかれた」と思ったんです。たくさんの人が心の中に種を持った。それがすぐに大木になるわけではないけど時間をかけて育てて森にしていくしかないのかな、と。

 この映画の中でも香港大学の学生、ラッキーは占拠活動の現場で子どもたちに英語を教えて、その楽しさと意味に気がつき、野外自習室で英語を無料で教え始めます。このように、若い人がどんどん成長していくプロセスがこの映画の中で見られたことが希望の種だなと感じました。それぞれコミュニティーに帰って、また種まきをするということが私たちに残された希望なんじゃないかなと思いました。

チャン:映画に出てきたラッキーは、その後卒業してから英語の先生になっています。ただ、学校で教えるというのは非常に難しいこともあります。

 今、香港ではいかにして愛国教育を進めていくかということをやっています。香港の教科書の中では、天安門事件について教える内容がどんどん減っている状況です。その単純な愛国教育に相反する教師として、子どもにどう批判精神を持ってもらうか。どうやって歴史を伝えていくか。今のほうが彼にとって大きな挑戦になっているかもしれません。

星野:冒頭でもお話ししましたが、私はこの映画を最初に見たとき、悲しい気持ちになった。でも今、お話ししていたら悲しくなくなってきた。それは雨傘運動当事者でもあるチャン監督を見て「ああ、こんなに明るさを持っていいのだ」と思えたからです。今日は会えて、すごく良かったと思います。

チャン:運動後すぐの頃は私自身も非常に悲しい思いを持っていました。ただ、3、4年経ってみて、違うことも考えられ、考え方も変えられるようになった。別の角度からも考えられるようになり、徐々にそういった悲しみも薄れていったと思います。

 私が思うに、雨傘運動というのは人生の中ではごく短い、一時的なものだと思います。ただその後、たとえばネイサン・ローなど、政治家になるという決意を持って人生をかけて変えていくという考えを持った人たちもいます。責任を持っているというのを一時的なものではなく、長い時間をかけて貫いていく。それは圧力もあるし、必ずしも理想を貫くのは容易ではないけれど、それでもやっていこうとする姿勢に対して、私はとても感動しています。

星野:まさに同意します。ありがとうございました。

(構成/編集部・三島恵美子)

AERA 2018年7月30日号