宮藤:等身大のことは絶対歌ってないから(笑)。

いのうえ:それを歌ってゲラゲラ笑う場合もあるけどね。

宮藤:マクベスというキャラクターは現代で言えば「テンパってる人」っていうか(笑)。思い込みが強すぎて周りが見えてない。自分の犯した罪がバレるんじゃないか、とおどおどしている。滑稽なんですよね。

いのうえ:愚かなんだよね。それが悲しかったり面白かったりする。この舞台でもそんな原作のテンションは出ていると思います。

宮藤:その愚かさが笑えるんですよね。以前から笑えるように演出すればいいのにって思ってたんです。

いのうえ:そうなんだよ。でも、そういう演出作品を見たことがない。

宮藤:黒澤明の映画「蜘蛛巣城」はちょっとそういうテイストですね。「メタルマクベス」はシェイクスピア作品の過剰な部分が新感線の「メタル」という過剰な音楽と合わさって、感情の喜怒哀楽がすべて爆発する。スピーカーのサイズが大きくなっているような感じがします。僕は最初に新感線とご一緒したのが「メタルマクベス」でよかったなって改めて思いました。

いのうえ:シェイクスピア作品は何百年も前に書かれているものだから、文学としては古典。原作をそのままやると、どうしてもその当時の宗教とか人種差別とか王室のもろもろの知識が必要になる。そこが苦手、という人も出てくると思うんですけど、そこをスッと外して「メタルマクベス」のような作品に置き換えてみる。すると、シェイクスピアが描く、愚かだったり傲慢(ごうまん)だったりという人間の本質は変わらないから現代人も楽しめる。シェイクスピア作品は人間臭いキャラクターがいっぱい出てくるから、いまだに愛されているんだよね。

宮藤:シェイクスピアは言葉の巧さや美しさ、修飾語的な表現が高く評価されていますが、話の構造はすごくシンプルです。これは新作歌舞伎を書いた時、中村勘三郎さんに言われたんですが、400年前に書かれた古典を大事に、ありがたがってそのままやるのもいい。でも、もし作者が今生きていたら、もっと違うものになっているはずだと。僕もシェイクスピアが「メタルマクベス」を観たら「これだ!」って叫ぶと思います(笑)。今生きてたら「これやってる!」って。改めて自分の書いた「メタルマクベス」の台本を読んでもすごいなぁと思いますから(笑)。

(文中敬称略)(フリーランス記者・坂口さゆり)

AERA 2018年7月16日号