1931年竣工の旧東京証券取引所。奥が三角形状の市場館(取引所)で、手前がドーム状の本館(業務棟)。88年に現在の建物に改築された(写真:東京証券取引所提供)
1931年竣工の旧東京証券取引所。奥が三角形状の市場館(取引所)で、手前がドーム状の本館(業務棟)。88年に現在の建物に改築された(写真:東京証券取引所提供)
東京証券取引所30年史(AERA 2018年5月21日号より)
東京証券取引所30年史(AERA 2018年5月21日号より)
1960年代の兜町。バブル期にかけて、100社以上の証券会社がひしめき合う街へと発展したが、現在、兜町に居を構える証券会社は20社程度に減少している (c)朝日新聞社
1960年代の兜町。バブル期にかけて、100社以上の証券会社がひしめき合う街へと発展したが、現在、兜町に居を構える証券会社は20社程度に減少している (c)朝日新聞社
現在の東京証券取引所 (c)朝日新聞社
現在の東京証券取引所 (c)朝日新聞社

 日本最大の金融街、兜町が様変わりしつつある。かつては人間臭さに溢れ返っていたが、切った張ったの証券マンの姿は今は少ない。「人」から「機械」へ──。生まれ変わる街に生きる人々をジャーナリスト・田茂井治氏が追った。

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 3月某日午前9時。日本経済のランドマークとも言える建造物の前に、ベビーカーを押しながら子どもをあやす女性の姿があった。

「こんな時代が来るとは思わなかった」

 いくつもの証券会社を渡り歩き、今は投資情報の配信会社に勤めるAさん(57)はその光景を眺めながら漏らした。

 東京・日本橋兜町──日本橋川と隅田川、1865年に埋め立てられた楓川に囲まれた地形から、「シマ」とも呼ばれた日本最大の金融街が様変わりしている。「かつてはどこもかしこもタバコの匂いがした」(日本取引所グループ広報・IR部長の三輪光雄氏)が、今はOL風の女性や子連れの主婦、大きなバックパックを背負った外国人旅行者も行き交う。切った張ったの鉄火場に身を投じ、目をギラつかせた証券マンの姿はむしろ少ない。

「昔からある明かりは少しずつ消えていってウチもどこまで持つか。でも、新しい明かりも灯りつつあるのよね」

 1951年、バラック造りの甘味処として茅場町にオープンし、この街とともに歩んできた純喫茶「SUN茶房」の中台毎子(つねこ)さんは話す。

 東京証券取引所の“家主”として知られる平和不動産は、「投資と成長が生まれる街づくり」をテーマに兜町・茅場町一帯の再開発を進める。2014年からの10年間を“1stステージ”と位置づけ、東証周辺の土地を次々と購入。兜町と茅場町の間を走る永代通り沿いの旧山種ビルがあった一角は20年度までに地上15階・地下2階の大型商業ビルへと生まれ変わる予定だ。

「多くの証券会社はこの街を去ってしまいましたが、国内外問わず資産運用に携わる投資顧問会社やファンド、フィンテック系ベンチャーなどを誘致して、証券の街から金融の街へと変えていきたい」(平和不動産開発企画部次長・疋田哲也氏)

●背が高く、声が大きい、場立ちがシマを闊歩

 そんな再開発に対する期待は高い。“兜町の重鎮”として知られる十字屋ホールディングスの安陽太郎社長(77)は「あと5年もしたら日本橋の表通りのような綺麗なオフィスが立ち並び、世界の機関投資家が兜町に出張所を構えるようになるかもしれない」と話す。

 だが、シマの住人たちの言葉には哀愁も滲む。兜町は世界経済のうねりに翻弄され続けてきたからだ。

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