ちょうどIT化の波が押し寄せてきた時代だ。同年には株式売買委託手数料を完全自由化。手数料の安いネット専業証券が脚光を浴び始めた。人から機械へ。その流れにはもはや抗いようもなかった。元立花証券の名物アナリストで今も活躍する平野憲一氏(70)も次のように話す。

「活気のなくなった兜町を08年にリーマン・ショックが直撃した。銘柄情報などを配信する調査情報部を縮小したり、廃止したりする証券会社も現れた。アナリストはお金を稼がない、と」

●アルゴ取引でディーラーも兜町から姿を消す

 場立ち、アナリストの次はディーラーだった。10年1月、東証が「アローヘッド」を導入。海外機関投資家の間で“アルゴリズム取引”と呼ばれる高速取引が浸透するなか、東証がこれに対応。1千分の1秒単位での売買執行が可能になったことで、投資判断まで機械に委ねられることとなったのだ。

「高速システムの前では人の力の限界が見えた。かつてのように半ば人為的に大相場をつくり出すなんてことはできなくなった。これはもうダメだ、ヤメだと判断した」

 前出の安氏は12年に十字屋証券の廃業を決断した理由をこのように回想する。戦前から続く中小証券の顔役が事実上、“証券業”から足を洗った瞬間だった。同じ年に大正11年創業の老舗証券会社であった赤木屋証券も廃業。赤木屋ホールディングスに社名を変え、現在はコーヒー豆の卸業を営んでいる。背景には東証の株式会社化もあった。01年まで証券会社による会員組織として運営されていた東証は、「株式会社東京証券取引所」へ移行した後、13年に大阪証券取引所を吸収合併。証券会社が保有していた“会員権”は日本取引所グループの株券へと姿を変えたことで、それを売って廃業していく中小証券会社が相次いだのだ。

「最盛期には100社を超える証券会社が兜町にひしめき合っていましたが、今では20社弱に減っています」(前出の平和不動産・疋田氏)

 だが今、平和不動産が茅場町に所有するビルでは、新たな金融の芽が花開こうとしている。

「金融ベンチャーや独立系の投資顧問会社が集積してくると着実に茅場町・兜町の街並みは変わる。うちもビジネスチャンスが増えると感じています」

 昨年7月に麹町から茅場町に引っ越してきたクラウドファンディング事業を手がけるクラウドクレジットの杉山智行社長(35)はこう話す。同じフロアにはロボアドバイザー事業を展開するロボット投信も入居。フィンテック協会などが拠点を置くインキュベーションオフィスもある。そのエネルギーはかつての場立ちたちに勝るとも劣らない。

 ベビーカーを押す母親のすぐそばには、独り立ちを始めたベンチャーたちの息遣いが感じられるだろう。(ジャーナリスト・田茂井治)

AERA 2018年5月21日号