「こうなった背景にスマホやSNSの登場があることはもちろんだが、それらだけが悪というわけではない。もともと人間に備わっていた性質が可視化されただけで、人間の本質は変わっていない」

 “ラブレス”な状況から抜け出す唯一の方法は、「他者に尽くすこと」だとズビャギンツェフ監督は言う。映画では、消えた息子の行方を追う捜索ボランティアの人々の存在がそれを体現している。

「彼らは実在の組織で、無償で人々のために尽くす英雄です。ロシアにおいて彼らの活動は市民意識の目覚めという大きな意味を持っている。ロシアではそもそも他者について思いやる意識が低く、国も個人に無関心です。彼らの行動は、そんな国へのひとつの解答でもあるのです」(ズビャギンツェフ監督)

 ズビャギンツェフ監督も、冒頭のオストルンド監督と同様に、同時代の作品に同じ思いを感じることがある。

「AIに人の職業が奪われていくような時代です。われわれは他人を犠牲にしなければ生き抜けない、狂気じみた生存競争のなかにいる。その状況が人間の倫理や道徳観に影響を与えているのは間違いない。そして芸術家は時代を切り取るもの。いまの状況を映す映画や文学が多く生まれるのは、当然のことでしょうね」

 いま、ズビャギンツェフ監督の「見るべき映画リスト」には「聖なる鹿殺し」が入っているそうだ。(ライター・中村千晶)

AERA 2018年4月9日号