批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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作者や出版社の許可なくマンガを無料で公開する、海賊版サイトが話題になっている。2月9日には国会で取り上げられ、3月19日には菅義偉官房長官がサイトブロッキング(アクセス遮断措置)を含め対策を検討していることを明らかにした。
ネットの普及以来、海賊版の流通はつねに著作権者を悩ませてきた。それがいま社会問題化しているのは、昨年現れたある大手海賊版サイトが、みるみる急成長して、驚くべき数の閲覧者を集めるようになってしまったからである。一部報道によれば、問題のサイトの月間訪問者数は約1億3千万人。ユニークユーザー数は700万人を超え、10代の少年少女の多くが日常的に利用していると言われている。
海賊版の存在が深刻な権利侵害であり、市場の健全な発展を妨げるものであることは言うまでもない。問題のサイトのサーバーは海外に置かれ、保存元と配信を分けるなど、法的・技術的に摘発がむずかしい状態が作られている。ブロッキングの導入に慎重な意見もあるが、この件に関してはやむをえないのではないか。
ところで今回の事件であらためて考えたのは、マンガの「適正価格」とはいくらなのだろうということである。マンガ単行本は数百円で、文庫本や新書に近い。それは作家や出版社からすれば正当な値付けだろう。出版不況下では安すぎるぐらいかもしれない。
ところがマンガは圧倒的に速く読める。1冊15分から30分で読み終わってしまい、シリーズ物も多い。正規料金で半日楽しもうと思えば、5千円や1万円は軽く飛んでしまう。つまりはマンガは、消費者の時間という観点から見ると、かなり「コスパの悪い」商品なのだ。新古書店しかりマンガ喫茶しかり、マンガ消費者と著作権者の争いが繰り返されている背景には、マンガのこの特性がある。今回の騒動もその延長線上にある。
かつて書籍の価格はモノの費用で決まっていた。けれどデータになるとその側面が消える。情報が独立して売買可能になると、ひとは時間だけを基準に値付けをすることになる。マンガがそこでどう生き残るのか、解答はまだ見えない。
※AERA 2018年4月9日号