難民3世代叶わぬ帰郷 アフリカ「最後の植民地」西サハラの今 (3/3) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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難民3世代叶わぬ帰郷 アフリカ「最後の植民地」西サハラの今

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平田伊都子AERA
西サハラ亡命政府「サハラ・アラブ民主共和国」の国旗をまとう女性。背後に「砂の壁」が見える。これ以上近づくと地雷とモロッコ軍の銃撃という危険がある(撮影/川名生十)

西サハラ亡命政府「サハラ・アラブ民主共和国」の国旗をまとう女性。背後に「砂の壁」が見える。これ以上近づくと地雷とモロッコ軍の銃撃という危険がある(撮影/川名生十)

民族衣装メルファをまとった女性カメラマン・ハディジャ。難民キャンプの集会場で大統領の演説を撮影し、西サハラ人向けのテレビで放映する(撮影/川名生十)

民族衣装メルファをまとった女性カメラマン・ハディジャ。難民キャンプの集会場で大統領の演説を撮影し、西サハラ人向けのテレビで放映する(撮影/川名生十)

難民3代。娘と孫は難民キャンプで生まれ育った。娘は一枚の大きな布でできた民族衣装をまとう(撮影/川名生十)

難民3代。娘と孫は難民キャンプで生まれ育った。娘は一枚の大きな布でできた民族衣装をまとう(撮影/川名生十)

2017年8月、アルジェリアのブメルデスで開かれた集会で、政治囚の写真を掲げて釈放を訴える被占領民のアイシャ(左端)(撮影/川名生十)

2017年8月、アルジェリアのブメルデスで開かれた集会で、政治囚の写真を掲げて釈放を訴える被占領民のアイシャ(左端)(撮影/川名生十)

 西サハラ民族大会は西サハラ人が祖国解放に向けた闘争方針を話し合い、意思決定を行う最も重要なイベントだ。15年12月の第14回大会は、モロッコの妨害を避けて、難民センターから190キロ離れたダハラ難民キャンプで開催された。私は大会を取材するため、難民のアラビ家のテントに居候させてもらった。

 アラビ一家は17人。つぎはぎだらけの古いテントで生活していた。1カ月前まで日干し煉瓦で手作りした小屋に住んでいたが、大洪水で小屋は溶けて流されてしまったという。

 アラビ家の人々は、40年前にあった出来事を私に話してくれた。一家が暮らしていた町に、突然、モロッコ軍機のクラスター爆弾やナパーム弾が襲いかかった。当時11歳のマグダードと10歳のラギーヤの姉妹は、母や近所の人たち数百人と一緒に着の身着のまま町を脱出した。

 父はモロッコ軍との戦闘ですでに戦死していた。冬の砂漠は気温が零度を下回り、老人や幼児は次々と命を落とした。エルワリ率いる西サハラ難民軍に導かれてアルジェリア国境を目指す難民たちに、モロッコ軍は執拗に空爆を続ける。故郷からアルジェリア国境まで200キロ。

「砂漠の遊牧民がラクダのミルクやナツメグをくれなかったら、飢え死にしていたよ」

 とラギーヤ(52)。姉のマグダード(53)は言った。

「モロッコ人は人でなしだ! アッラーの罰があたるよ!」

 難民の逃避行の話になると、だれもが民族衣装の裾で涙を拭う。西サハラ難民のどの家庭にも、こうした難民逃避行の経験がある。悲惨な体験が難民同士を固く結びつけている。(文中一部敬称略)(ジャーナリスト・平田伊都子)

AERA 2018年3月19日号より抜粋


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