ある時西部さんが、「田原さん、僕たちは全く勉強していなかった。吉田(茂)安保と岸(信介)安保の違いがわかっていなかった」と言いました。吉田安保は占領体制をどう延長するかというものであり、アメリカが望むなら基地がつくれるが、それでいて日本を守る義務は全くない。一方、岸安保は事前に日本と相談する、そして日本を守る義務はあるという。つまり吉田安保を良くしたものだった。そういうことを知らないで、西部さんもほとんどの学生や労働組合も岸に反対したのは、岸がA級戦犯であったからです。アメリカと密約があったに違いない、岸安保はアメリカの戦争に日本が参加する安保に違いないということで反対した。

 また、アメリカが占領して日本の警察を弱くしたが、警察が強くないと困るということで58年に岸は警察官職務執行法の改正をしようとした。それで岸は戦前の警察を復活させるんじゃないか、岸は戦前に戻そうとしているのではと反対したわけです。

佐高:田原さんが「朝生」で西部対大島、小田という構図をつくって論議をしましたが、大島さんや小田さんも従米ではない。共通の基盤があって議論ができたわけです。

 西部さんは本当に議論好きで「問答無用」の人が苦手だった。ある時テレビで小泉純一郎をゲストに呼んで討論をしたことがありますが、西部さんは楽屋で「おれは小泉苦手なんだよな」と言った。討論が始まったら、小泉は「わたしはそういう抽象論に興味ないんです」といって西部さんに答えない。印象的でした。

田原:小泉が首相になった頃、しばらくは経済が悪かった。経団連や経済同友会が、自分たちがいくら言っても小泉は言うことを聞かない。聞こえているのに、理解できないんじゃないかとぼろくそだった。小泉に会ってそう言っているよと言うと、「その通りだ。財務省、経産省、言っていることが矛盾している。まともに聞いていたらノイローゼになる。おれはノイローゼになるのはいやだから言うこと聞かない」と言った。そういう人なんですね。

(文中一部敬称略、構成/編集部・小柳暁子)

AERA 2018年2月26日号より抜粋