今は美容効果なども期待できるヘルシーでおいしい調味料としても、全国からの注文が引きも切らない。ちなみに浜松市は、元気で長寿な「健康寿命」が国内20 大都市中ナンバーワン。こんな不思議な納豆を後世に残したのも、家康のメッセージなのかも。

「人生100年時代もすぐそこ。家康の埋蔵菌から、長い人生を楽しむための食のノウハウを学んでほしいということかもしれませんね」(永山さん)

 さて、こうして食生活を味方につけることで、長生きを自分から取りにいった家康は、どんな最期を迎えたのだろう。諸説はあるものの、皮肉にも、日の本一ともいえる自慢の腸内環境を一気に崩したことが、死因になったという説もある。

 きっかけは、趣味の「鷹狩り」だった。ちなみに家康は運動代わりに鷹狩りを楽しみ、その回数は生涯で1千回といわれる。

「鷹狩りに出かけた先で、京都で人気になっているという新しい料理のことを耳にして、どうしても食べたくなった。何だと思いますか? 諸説ありますが、鯛の天ぷらだったという説があるんです」(同)

 パンケーキに始まって、ポップコーン、かき氷、ヘルシーハンバーガーなどなど。「こんなの初めて!」の新食感は、今も人の心を惑わしまくって、長い行列をつくらせている。そして400年前には、堅実な家康の心さえも、新食感がかき乱したらしい。

 調理させた「鯛の天ぷら」なるものを、まず一口。

「うますぎる」

と言ったかどうかは別として、また一口、そしてまた一口と、やめられない止まらない状態になるまで、時間はそうかからなかったのだろう。

 一説によると、こうして天ぷらを食べ過ぎたことで、家康公は腹を下し、これをきっかけに寝込んでしまう。そして一進一退を繰り返した数カ月後、とうとう帰らぬ人となった。

「大坂城を陥落させて、ほぼ1年。いよいよ自分もここまで来たかと、気がゆるんだというのもあるでしょう。古い油でトランス脂肪酸になっていた可能性もある天ぷらをいきなり暴食して、75年間大切に育ててきた埋蔵菌が混乱。一気に腸内環境が悪化していったとも考えられます」(同)

 側近だった天海和尚が、糸を引く普通のタイプの納豆を、江戸から駿府へ差し入れたが、浜納豆への忠誠心でもあったんだろうか。数回口にしただけで、食べ続けることはしなかったという。

 こうして、家康の死とともに所在が知れなくなった「徳川埋蔵菌」。とはいえ、家康のストイックな食生活を見習えさえすれば、今日から埋蔵するのも夢じゃない。そんな誰にも手が届くプライスレスなお宝、徳川埋蔵菌のオーナーを目指せ!(ライター・福光恵)

AERA 2018年1月29日号