半藤:これを書いたときはまだ39歳ですから、困ったことに漱石先生の頭の中には、漢学や仏教の言葉やらお能やらが山ほど詰まっていたんでしょう。

宮崎:『草枕』の舞台の小天温泉に社員旅行で行ったことがあるんです。お寺や舟など、小説に出てくるものはひとそろい集まっていると思ってましたけど……。

半藤:何も残ってませんでしょう?

宮崎:残ってないです。だいたい、川がないですよね。

半藤:あのへんが漱石のインチキなところです(笑)。『草枕』を書くとき、漱石の頭の中には山水画の風景があったと思うんですよ。山があって、山道があって、峠があって、川が流れていてという風景が。

 その風景を思いながら、山を越えて湯治に行き、帰りは川を下っていく話を書いたんでしょうけど、川の場面を書くとき、行きに山を越えていくのはおかしいと思ったんじゃないですかね。あとから付け足してあるんですよ、「そうさ、船ではなかった。馬であった」なんて。

宮崎:付け足してあるんですか。

半藤:ええ、不敵な作家ですよ。

(構成/編集部・大川恵実)

AERA 2017年12月4日号より抜粋