「白いキャンバスを前に立ちすくむような思いがした」

 所属するギャラリーと決めた制作期間は3年──。

 池田はこれまでも2メートルを超える大作を描いてきたが、いつも下絵は描かない。初期はインスピレーションに任せて「虫食い」に描き、最後につなげてまとめあげていた。

「偶然性が絵をおもしろくする」

 と池田は言う。

「予兆」のときは、アパートの自室で3枚に分けて制作した絵をふすまを外して並べて立てかけたところバランスが悪く、1枚描き足して完成させた。

 今回も下絵は描かず、3段に分けて、左下の隅から右へ、1年に1段ずつ描くことにした。主なモチーフはがれきから立ち上がる大樹。陸前高田の一本松や北米の樹林から構想が浮かんだ。13年8月7日、最初に描いたのは左隅のがれきの鉄くずだった。

 今回、池田は午前9時から午後5時まで美術館に通って制作。1日1時間は美術館の希望で地元の人たちに制作現場を公開した。最初の半年は、毎日がれきを描き続けた。

「次第に気が滅入(めい)る中、見学者との交流はいい形で作品との距離をつくってくれた」(池田)

 来る日も来る日もペンを走らせる。波にのみ込まれていく無数の人影、自殺者、死者を弔う姿、愛を交わす男女、汚染土と原発建屋、三陸鉄道、段々畑を耕す人たち。安息の地を求めてさまようキャラバン。制作期間中に生まれた2人の娘と、がん闘病の末に若くして世を去った親友の姿も描いた。

 生と死。善と悪。着々と描き進める中、悩み続けたのは大樹の枝先だ。花をつけるか、枝のままとするか。花をつけるのはわざとらしくないか。花を描くには制作時間も足りなかった。

 残り10カ月となったとき、スキーで脱臼して神経を痛め、一時右手が動かなくなった。完成披露の日程はすでに決まっている。焦燥の中、左手で描こうと思い立ち、ペンを初めて持つ左手で習作し、数日後には再びキャンバスに向かう。ゆがんだ線で花を描いた。脱臼した自分の姿も描き込んだ。枝先は花で埋め尽くすことに決めた。

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