没後150年、坂本龍馬を人生の道標とする人たち (2/3) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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没後150年、坂本龍馬を人生の道標とする人たち

野村昌二AERA#歴史
高知・桂浜に立つ坂本龍馬像。太平洋のかなた、はるかアメリカを望んでいる。月の名所としても知られる(撮影/写真部・小林修

高知・桂浜に立つ坂本龍馬像。太平洋のかなた、はるかアメリカを望んでいる。月の名所としても知られる(撮影/写真部・小林修

齋藤秀一さん(52、左)と、永長佳美さん(21)。龍馬好きが縁で知り合い、齋藤さんが発行している「湘南海援隊文庫」も永長さんが手伝う(撮影/編集部・野村昌二)

齋藤秀一さん(52、左)と、永長佳美さん(21)。龍馬好きが縁で知り合い、齋藤さんが発行している「湘南海援隊文庫」も永長さんが手伝う(撮影/編集部・野村昌二)

美甘子さん(35)/歴ドル/坂本家の家紋、「違い升桔梗紋」が入った着物を羽織ると、「龍馬さんの熱い気持ちが乗り移ります」と笑う

美甘子さん(35)/歴ドル/坂本家の家紋、「違い升桔梗紋」が入った着物を羽織ると、「龍馬さんの熱い気持ちが乗り移ります」と笑う

「世の人は 我を何とも言わば言え 我がなす事は 我のみぞ知る」

 元々美甘子さんは、芸能界を目指していたわけではなかった。大学卒業後、大手印刷会社に就職。しかし、体調を崩し3年で退職、たまたま芸能界に入った。やがて歴史好きだったことから、「歴ドル」を名乗り始めた。

●「大丈夫ぜよ」の声が

 芸能界は浮き沈みの激しい世界だけに、悩んだり、落ち込んだりすることも。最近は、家庭を築き安定した生活をしている学生時代の友人が羨ましく思えることもある。つらい時、自分の生き方を振り返った時、龍馬の「世の人は 我を何とも言わば言え……」を心の中で繰り返す。すると、気持ちが前向きになり、逆境も乗り越えることができると、笑顔で話す。
「龍馬の『大丈夫ぜよ』という声が聞こえてきます」

 憧れの龍馬に自身を重ね、信じる道を邁進する女子大生もいる。

 清泉女子大学3年の永長佳美さん(21)。高校1年の時、家族で高知を旅行したことがきっかけで龍馬好きに。その時、地元の龍馬好きが語ってくれた、龍馬という人間に魅せられた。

「藩という当時の体制の中で、龍馬は日本人という広い感覚を持っていました。そのことが、すごい新鮮と思って」

 それまでは普通の女子高生。歴史も嫌い。それが歴史好きとなり、歴史を学びたくて大学は文学部文化史学科に進んだ。
 龍馬の魅力は、その「ギャップ」にあるという。龍馬は、国を変えるほどの偉業を成し遂げた雲の上のような存在だが、残された手紙などを読むとお茶目な面も結構ある。例えば、恋仲とされた千葉佐那と別の女性を比較し「佐那の方が美人」などと書いた手紙がそれだ。

「そんなことを書いちゃう?みたいな(笑)。でも、そういうところが、龍馬を身近な存在に感じさせます」

●高知で働こうと就活中

 龍馬は、永長さんの生きる道標となった。龍馬のように誰かのために何かをしたい。それも、龍馬が生まれた場所で──。今、高知で働こうと就活中だ。

「県が抱える、過疎化や交通インフラといった問題に向き合っていきたいです」

 ここまで龍馬が人を引きつけるのはなぜか。キーワードは、「自忘他利」だ。龍馬は己を捨て、国を動かすべく奔走した。

 地域活性化企画会社「地域力創発」(川崎市)代表の森本言也さん(54)も、そんな龍馬に引かれた。

 志を持ち、社会のために何かをする人が昔から好きだった。18歳の時『竜馬がゆく』を読んで、社会問題を解決し、よりよい社会をつくろうとした人間がいたことに心揺さぶられた。


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