浅田真央という存在が「変えた」もの (1/3) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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浅田真央という存在が「変えた」もの

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引退記者会見では「トリプルアクセルに声をかけるとしたら?」の問いに「なんでもっと簡単に跳ばせてくれないの?って感じかな」/2017年4月12日、東京プリンスホテルで(撮影/写真部・松永卓也)

引退記者会見では「トリプルアクセルに声をかけるとしたら?」の問いに「なんでもっと簡単に跳ばせてくれないの?って感じかな」/2017年4月12日、東京プリンスホテルで(撮影/写真部・松永卓也)

 ブログで「引退」を発表してから2日。浅田真央は引退会見の会場にいた。涙を浮かべて言葉に詰まったのは最後の最後だけで、終始すっきりとした笑顔。おそらく、「最後は笑顔で」と決めていたのだろう。現役選手の浅田真央に「さようなら」を言う前に、もう一度、彼女のフィギュア人生を味わいたい。

【懐かしい場面をフォトギャラリーで】

 初めて浅田真央(26)を取材したのは、2005年6月。アイスショーでのことだった。大きなピンクのリボンを胸にあしらった衣装でピョンピョンと楽しそうにジャンプを跳ぶ。姉の舞と共にインタビューに答え、

「来シーズンはシニアの試合にも出るのが楽しみ!」

 と笑った。当時14歳。この少女が何かを変えるかもしれない。そう予感させた。

 あれから12年。浅田がもたらしたものは計り知れない。

●勝ちたければ成長する

 その一つは言うまでもなく、フィギュアスケートブームだ。05年12月のグランプリ(GP)ファイナルでトリプルアクセルを成功させ、世界女王に。06年2月のトリノ五輪には年齢制限に87日届かず、出場できなかった。「真央を出場させたい」という世論が高まり報道も過熱したが、本人はどこ吹く風で、

「オリンピックに出られるなら出てみたいけれど。でも優勝のご褒美にレゴブロックを買ってもらう予定なのが楽しみです」

 浅田が一枚上手だった。

 このスケートブームで、子どもたちも変わった。閑散としていたスケートリンクは芋を洗うような混雑状態になり、「入会は2年待ち」というリンクも登場。「目指せ!真央ちゃん」はジュニアの選手たちの合言葉になり、浅田の演技前にはいつも、「真央ちゃん頑張って~」というかわいい声が響いた。

 17年四大陸選手権で優勝した三原舞依(17)もその一人で、「6歳だった時に真央ちゃんが楽しそうに演技しているのに魅了されてスケートを始めた」という。関節が痛む難病で車いす生活になった15年冬、浅田の映像を見て自分を鼓舞し耐えぬいたことが、今季の復活劇につながった。


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