島田裕巳(しまだ・ひろみ、63)/宗教学者。1953年生まれ。東京大学大学院博士課程修了。日本女子大学教授などを歴任。主な著書に『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)など(撮影/宮本柊)
島田裕巳(しまだ・ひろみ、63)/宗教学者。1953年生まれ。東京大学大学院博士課程修了。日本女子大学教授などを歴任。主な著書に『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)など(撮影/宮本柊)

 2016年の新語・流行語大賞は「神ってる」。“聖地巡礼”“パワースポット”がにぎわいを見せ、神様が身近にあふれる。3・11から6年、一人ひとりがそれぞれの形で宗教と向き合う時代。日本の宗教にいま、何が起きているのか。AERA 1月16日号では「宗教と日本人」を大特集。現代の宗教最前線を、宗教学者の島田裕巳さんに聞いた。

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 現代の日本人の死生観を大きく変えたのは「老後」の存在でしょう。生と死の間に「老後」ができたことで、死ぬ意味があいまいになってきたからです。

「老後」という言葉が朝日新聞に登場したのは1984年。戦後、第1次産業から第3次産業へと産業がシフトして都市化とサラリーマン化が進むなかで、「定年」という制度が生まれました。それまでは、基本的に死ぬまで働いていたわけですから、「生」と「死」の二分法でした。

 ところが、戦後のサラリーマン世代が最初に定年を迎える80年代中盤以降に「老後」が誕生したことで、人生が3段階になった。老後に「死ぬまでの心配」をしなければならなくなったことは、大きな変化です。元気なうちに死への準備をする「終活」も、老後がなければ生まれなかったでしょう。

 同時に、家制度の弱体化も「死の意味」を変えました。日本人の死生観は「西方浄土」「極楽」という仏教的観念と家制度が結びついて醸成されてきました。

「死んだら極楽浄土に行ける」「ご先祖様になって家や子孫を守る」と考えることで、「死」は意味を持ちました。残された者も、死んでいった「ご先祖様」を供養するためにお墓を作り、お参りに行き、自分が年老いてきたら「ご先祖様」として死んでいくという目的を持つことができた。

 だが、平均寿命が70、80歳と延びるにつれて、家の“新陳代謝”は滞り、核家族化や病院死の増加によって、死はどんどん遠いところへと追いやられていった。「極楽浄土」や「ご先祖様」という意味は見いだせなくなり、生きることが最大の価値になった。これが今の日本人の死生観なのです。

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