実際、同時期に製作された「君の名は。」とこの小説、内容は正反対に見えるが「愛の渇望」というテーマでは通じている。「ずっと何かを、誰かを探している」、これは「君の名は。」冒頭のモノローグだ。その探求が、これから始まる少年少女の物語なのか、すでに失われているがなお渇望し続ける大人の物語なのかが両作の違いだ。

 こうして小説と映画の世界を行き来することが自身の強みになっているという川村さん。小説を書くようになって大きく変わったことがある。川村さんがプロデュースする映画の中で、特に印象的で、高く評価されることが多い音楽だ。そのこだわりは相当なものだが、きっかけは、1作目の『世界からが消えたなら』の執筆中に気づいたあることだった。

「小説って音が鳴らないんですよね(笑)。当たり前なんですけど、映画の世界だけにいたら気づけなかったと思います。映画のアドバンテージは音で、観客の感情は音が決めているのではないか。だから音を中心にした映画をつくろうと思ったんです」

 その後、「バクマン。」でサカナクション、「怒り」で坂本龍一、「何者」で中田ヤスタカを起用。「君の名は。」ではストーリーとシンクロしたRADWIMPSの劇中歌が大きな話題を集めた。

 一方、映画と小説では決定的に異なるアプローチをとっていることがある。映画は結末を決めて製作するが、小説では決めずに書き始めるのだ。『四月になれば彼女は』で、主人公の男性に婚約者から「私たちは愛することをさぼった」という手紙が届く。川村さんは、この言葉をタイプした瞬間、思った。

「自分が隠していた気持ちやごまかしていたことを、自分で作り出したキャラクターに言われてしまい、本当に驚きました。でも読者が面白いと共感するのってこういうところだと思うんです。なぜ我々の恋愛は失われていったのか、その謎を知りたいという気持ちで僕自身が驚きながら書き進めていかなければ、この発見はなかったはず」

●監督を尊重する余裕も

「告白」「悪人」を製作していた頃は、描いたビジョンを徹底して貫く完璧主義者だった。しかし小説を書くようになり、この「半生」感の大切さに気づいて以降は、監督やクリエーターの「フェティッシュ」も、大切にする余裕が出てきたという。「少し引く」くらいが「作品の魅力」になるのだ。

 川村さんが手がけた「君の名は。」は、ロサンゼルス映画批評家協会の最優秀アニメ賞を受賞、世界中からアニメ・実写でリメイクのオファーが殺到している。日本で撮る映画を日本映画と定義するならば、川村さんが目指すのは「日本人映画」だ。

「日本人のストーリーテリングは世界で勝負できると確信しました。今後は僕らが描いた物語をアメリカで撮りたい。現代の集合的無意識にこだわって描くことができれば、世界のどこであろうと伝わると思っています」

 海外発の「日本人映画」は、日本映画界にどんな新しい風を吹き込むのだろうか。(編集部・竹下郁子)

AERA 2017年1月2-9日合併号