「最後は校歌か『紺碧の空』を、肩を組んで歌う」

 6年後、東京に戻ってから、意識的に同窓生とつながりを持つようになった。近年、年次稲門会も発足し、老後の生活を充実させるべく、イベントの企画も始めている。

 ほかにも、「北京駐在時、稲門会に参加した。上下関係も大雑把で気楽に人脈をつくれた」(94年卒・法・男性)など、稲門会をたたえる声が多かった。

 AERAネットは、9月下旬、早稲田と慶應の卒業生を中心にアンケートを実施した。寄せられた回答は、早稲田166、慶應95。それぞれが、母校の魅力や相手校の印象を回答した。

 何かと比較される両校だが、両者が母校に抱く誇りと、互いに抱く感情を読み解いていこう。

●バンカラ早稲田は健在

 早大81年商学部卒のDさん(58)は、「早稲田は地方出身者が多く、教室でも方言が飛び交っていた」と当時を振り返る。

 五木寛之氏の『青春の門』が大ヒット。自身も、主人公の伊吹信介が筑豊から上京し、早稲田に通う「自立篇」に共感し、貧乏生活にも憧れた。

「友人の狭い下宿に泊まったり、大学周辺の酒屋で立ち飲みしたり、雀荘で徹夜で麻雀したり。夜通し歩く本庄~早稲田100キロハイクでは、お互い悩みを話しながら歩きました」

 いわゆるバンカラな校風は、脈々と受け継がれているようだ。

「先輩の下宿がぼろアパート」(早大90年卒・商・男性)

「飲み屋が小汚い居酒屋」(早大01年卒・二文・女性)

「馬場の飲み屋は死ぬほど安い」(早大現役・社学・男性)

 校風は、寛容・寛大とする声が多く寄せられた。

「サークルの後輩に慶應の学生がいる。逆はないだろう」(早大89年卒・法・男性)

「留年したり卒業後無職になったりする人も多いが、なんだかんだ復活して社会で活躍している人が多い」(早大01年卒・一文・男性)という自由さも、魅力のひとつのようだ。

●虐待されるワセジョ

 早大の女子学生は、「ワセジョ」といわれる。女子たちは、本人たちですらやや自虐的に自らをカテゴライズする。

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