●本・映画・歌の三位一体

 角川が映画作りを始めたのは、映画化することで原作の本を売るためだった。したがって、角川映画は、映画がヒットするだけでは成功ではなく、その原作も売れなければならない。

 76年から80年までの「初期・大作時代」、映画の公開時、書店店頭にはその原作者の角川文庫が「横溝正史フェア」「森村誠一フェア」と銘打たれて並んだ。これらの「フェア」は、文庫を売るためのものであると同時に映画の宣伝でもあった。当時は全国に2万店以上の書店があり、それらが一瞬にして「角川映画宣伝の場」となったのだ。

 文庫を売るために映画を作り、その映画の宣伝のために文庫を売る──目的と手段が渾然一体となったビジネスだった。

 さらに主題歌を作って、それもヒットさせた。本と映画と主題歌の「三位一体」が完成したのが、2作目の「人間の証明」で、以後、角川映画では必ず主題歌も作られる。

 こうして80年までに、横溝正史(『犬神家の一族』他)、森村誠一(『人間の証明』『野性の証明』)、高木彬光(『白昼の死角』)、半村良(『戦国自衛隊』)、大藪春彦(『蘇える金狼』『野獣死すべし』)、小松左京(『復活の日』)らのフェアが展開され、文庫は売れ、映画もヒットした。

●出版社ならではの方法

 当時は「角川映画」という名の映画会社はなく、角川映画を製作していたのは「株式会社角川春樹事務所」という角川春樹の個人会社だった(現在の出版社「角川春樹事務所」とは別)。

 かつて「映画会社」とは、撮影所を持ち、俳優も監督も、脚本家をはじめあらゆるスタッフも社員として抱えて映画を製作し、配給業務を行い、直営映画館を持ち、映画の「製造」「流通」「興行」の全てを担っていた。

 しかし、70年代、この垂直統合型ビジネスは崩壊しつつあった。大手5社のうち、大映は倒産、日活はロマンポルノ路線へ切り替えた。いちはやく撮影所を切り離して子会社化した東宝が、最も経営が安定していた(この構造は現在も同じだ)。

 一方、大スターや監督たちはフリーになり、自らプロダクションを設立して映画を作り続けた。しかし、いずれも経営危機に陥り、テレビ映画の製作を請け負うことで成り立っていた。

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