大相撲の千秋楽の表彰式で「君が代」が流れると、戦争を思い出して身体が震える、死体の臭いがしてくるという人もいた。

 こうした人々の症状は、沖縄戦に伴うPTSDだと確信した蟻塚さんは、研究者仲間に呼び掛け、本格的な調査に着手した。12、13年の調査で、沖縄戦に由来する精神疾患が芋づる式に浮かび上がった。

「足の裏が痛い」と訴える80代の女性患者は、50代から症状を自覚していたが原因が分からず、別の病院で「うつ病」と診断されていた。蟻塚さんが沖縄戦の体験を問うと、女性は約70年前の記憶を鮮明に語り始めた。

 女性の自宅は激戦地の沖縄本島南部にあった。両親や妹と共に戦場を逃げ惑う途中、死体を踏んだ、と女性は打ち明けた。「罰が当たった」。自分を責めるように言った。

 それまでうつ病と診断されていた沖縄の高齢患者の多くが、沖縄戦に伴うPTSDであることが次々に判明した。

●戦争体験者の心に負荷

 うつ病とPTSDの違いを、蟻塚さんはこう説明する。

「うつ病は例えて言うなら高血圧みたいなもの。一方、PTSDはいわば火傷を治療するようなもの。外傷の治療だから、治療法はまったく違うのです」

 原因不明だった症状に納得のいく説明が付されることで、居場所が定まらなくて暴れ回っていた記憶を、しかるべき記憶の戸棚に収めることができるようになる。「記憶の戸棚に収め、治療方法も分かれば、やみくもに恐怖におののくということはなくなります」(蟻塚さん)。高齢の患者の症状は徐々に改善されていった。

 思わぬことがきっかけで、トラウマが突然、フラッシュバックするのもPTSDの特徴だ。沖縄では戦後も日々、米軍機が轟音をとどろかせ、米軍関係者による事件や事故が繰り返されてきた。米軍基地から派生する被害は、多くの沖縄戦体験者に「戦場」の記憶を想起させる要因にもなり得る。

 04年8月、米軍普天間飛行場(宜野湾市)に隣接する沖縄国際大学に米軍の大型ヘリが墜落した。もくもくと立ち上る煙や無惨に大破した機体が地元のテレビや新聞で繰り返し報じられた。焼け焦げた校舎の跡が残る事故後の現場も見た蟻塚さんは、米軍基地の存在が沖縄の戦争体験者の心に負荷を与え続けている、との思いを強くしたという。

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