11年3月に高校を卒業。4月中旬にビザを取得し、翌5月、スーツケース二つを手に、カーニー・リージョナル空港に降り立った。日本のファミレスくらいしかない小さな空港には、プーンと牛糞の臭い。冬はマイナス32度まで下がる日もあって、遭難しそうな吹雪のなかをスノーブーツで20分歩いてキャンパスに通った。

 不便な町、過酷な冬、留学生に対する差別的な視線に耐えきれず、留学を断念する学生も少なくない。竹中さんも「こんなはずではなかった」と何度となく嘆いたが、海外でも生き抜くのに十分な英語力とタフなメンタルが備わったいま、ここを選んでよかったと思っている。

「日本に帰りたい(けど帰れない)」ジレンマに悶絶していた2年生のはじめ、中国の姉妹校に4カ月間の短期留学をしたことも、転機になった。反日運動が盛り上がっている時期で、日の丸が焼かれる光景も目撃したが、留学したくてもビザが下りない中国人学生と出会い、「みんながアメリカで学べるわけではないのだ」と自分が恵まれていることに気づいた。

 現在はアメリカで人材斡旋関連の仕事を探しているが、キャリアを積んだら東南アジアで起業したいと考えている。

「まずは、温暖なシアトルやポートランドで働きたい。乗り換えなしに日本に帰ることができる都市なら、最高ですね」

AERA 2015年9月14日号より抜粋

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