真珠湾攻撃という、日本側の奇襲から始まったとされる第二次世界大戦。しかしそれは本当に奇襲だったのか。実は、当時の日本の情報が米国に漏れていたのではないかということを示す文書が残っている。

 敗戦直後の1945年10月9日に、当時の米内光政(よない みつまさ)海相に提出された「大東亜戦争戦訓調査資料(一般所見)」という公文書がある。かかる惨敗を日本はなぜ喫したのか、その原因などを戦訓として、とりあえず急いで公式にとめることが海軍省で決まり、そのための調査委員会規定まで作られ、委員長には、軍事に関する天皇の質問に答える職務の軍事参議官の一人、野村直邦(なおくに)海軍大将が任命された。

 見逃せないのは、海軍省のこの戦訓公文書の中に、米側による国内スパイ網の存在を示唆する、次のような指摘があることだ。

 敵ハ我(わが)暗号書ヲ解読セルノ外(ほか)我枢要都(すべて)ニ『スパイ』網ヲ有シタルモノノ如(ごと)ク「ミッドウエー」海戦以降我作戦ハ事前悉(ことごと)ク敵ノ詳知スル所トナリ作戦甚(はなはだ)シク不利ニ陥(おちい)レリ(大東亜戦争戦訓調査資料)

 海軍部内の心証が強かっただけなのか、何らかの事実が把握されていたが公文書に記録することは避けたのか。原文は「我枢要都すべてニ」なので海軍の中枢部も含まれる。野村大将の印鑑も押してあり、野村委員長ら関係幹部が目を通したはずの公文書に、この指摘だけでも海軍組織をはじめ日本の軍官を深く傷つけるかかる箇所が、あえて残された意味は深刻だ。

AERA 2012年12月10日号