そして、旅行しやすい環境が整えられていく。交通網は整備され宿泊施設も充実していくが、幕府が各街道に設けた関所での検査が緩かったことは見逃せない。

 旅行者に厳格なチェックを実施すると、大勢の人間をスムーズに通過させることなど到底不可能な事情が背景にあった。したがって、検査を緩くせざるを得なかったのだ。

 取り調べの厳格さで知られた箱根関所でさえ、住所や故郷の名主の名前を答えさせ、風体や荷物に怪しいところがなければ、関所手形がなくても通過させている。

「入鉄砲に出女」というフレーズがある。取り調べの厳格さを示す言葉だが、入鉄砲はともかく、関所から見て江戸から出ていく出女への実際の検査はさほど厳しくなかった。身体の調べにあたる「人見女」への謝礼(袖元金)で手心が加えられ、容易に通過できたからだ。

「関所の沙汰も金次第」だったが、宿場の旅籠屋などで知り合った地元の者に案内賃を支払って関所破りすることも、女性旅行者の間では珍しくなかった。露見すれば厳罰は免れないのが原則だったから、関所を迂回する関所抜けという方法もあった。回り道や道順を変えることで、関所を通過しないで済ませた。

 まさに「政策あれば対策あり」だ。そうした実態は旅行人口の増加を後押しする結果となる。

 本書で紹介した女性七人と男性一人の旅日記は、女性たちが実に多くの観光地を回り、旅先で飲食や買い物そして芝居見物などの娯楽を楽しんでいたことを現代人に教えてくれる。そんな消費行動も旅行市場の拡大に大きく貢献していた。現代とよく似ている。

 人口の一割を下回る武士階級が旅行市場の拡大に果たした役割も大きい。その象徴的な事例こそ、諸大名が大勢の家臣を率いて江戸と国元の間を隔年で移動した参勤交代だ。数百人から数千人レベルの「団体旅行」が全国の街道や宿場で落とした金は莫大な経済効果を生んでいた。

 しかし、団体旅行となるとトラブルも大きくなる。旅程を緻密に書き込んだ「ダイヤグラム」に沿って「出発進行」をしても、川留めなどで思うようにはいかない。予定した宿泊をキャンセルすれば宿屋は大損害だ。影響は大きい。

 将軍となると、その影響は半端ではない。将軍が江戸城から出るだけで、大江戸の町は火が使えず銭湯は臨時休業となったほどだ。旅行は自粛せざるを得なかった。そのかわり、ある方法で「バーチャル旅行」を楽しんだ――。

 本書を通じ、そんな江戸の知られざる実像に触れていただければ幸いである。