『江戸の旅行の裏事情――大名・将軍・庶民それぞれのお楽しみ』
朝日新書より発売中

 昨年来のコロナ禍により世界経済は大打撃を受けたが、旅行業界などはその筆頭格だろう。

 しかし、九月末をもって緊急事態宣言が解除された。先の見通しはまだ立たないものの、ようやく長いトンネルを抜け出せるのではという期待が旅行業界では膨らんでいる。

「買い物は何を?」「お芝居とのパッケージツアーは?」と、「ガイドブック」を開いて気もそぞろ――本書で描いたこのシーンは、実は令和の現代人ではなく今から三百年も前の江戸の庶民の情景である。

 日本には国内旅行の市場が急拡大し、一大観光ブームが到来した時代があった。江戸中期・元禄年間である。戦乱が収まり、鎖国体制の確立もあって泰平の世が続く。人口(約三千万)の九割以上を占める庶民の経済力が向上し、旅行をする余裕がなんとか生まれたのだ。農民も町人も、そして女性たちも伊勢へ成田山へ、箱根へ有馬温泉へと物見遊山にこぞって出かけたのである。

 この時期に長崎に数年滞在したドイツ人医師のケンペルは、江戸への旅の後で日記にこのように書き残している。

「ヨーロッパの都市の街路と同じくらいの人が街道に溢れている」

 ブームは全国各地に多くの観光地を生み出し、旅行産業を活性化させる。ここから始まった「旅行文化」は、そのまま現在につながっている。その原動力は何だったのか?

 各地の寺社が旅行業者と化し、その代理業者まで誕生した事実は重要だ。人々がカネを積み立て、何人かが「代参」する「講」という団体旅行のスタイルを仕掛けたことで、参詣者つまり旅行者が爆発的に増えたのだ。

 温泉という新たな旅行先が誕生したのもこの時代だが、有名な浮世絵師を動員したキャンペーンなど、温泉宿による仕掛けが旅行者を増やした事例も数多くある。

 また、八代将軍徳川吉宗などは江戸を観光地として開発することに熱心で、隅田河畔、飛鳥山、御殿山などに桜や紅葉の植樹を進めた。「観光立国」を目指した最初の人物と言えようか。

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