それは不思議な光景だった。

 暴れるシニアを若者がなだめている。

 2012年秋、首相官邸前で反原発集会が行われたときのことである。60代半ばのシニア世代が警察車両を手で揺り動かしていた。それを20代の女性が止めに入る。

「やめてください。どうか冷静になってください」

 2015年夏、国会前の安保関連法案反対集会でも、70歳近いシニアが道路封鎖を決壊させようと、車道に飛び出さんばかりに警察官ともみ合っていた。そして、「さっさと道をあけろ。権力の横暴じゃないか」と罵声を浴びせた。そのとき、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)の学生がマイクでこう叫んだ。

「挑発に乗らないでください」

 首相官邸前でも国会前でも、シニアはばつの悪そうな顔をして、おとなしく引き下がった。彼らは団塊の世代、別名、全共闘世代と呼ばれている。1960年代後半、当時は20代で、機動隊に向けて石や火炎ビンを投げつけていた。近くにいた大人たちから「暴力はやめなさい」と怒られた。

 警察車両を揺らしたシニアはこう話す。

「若いころ、大人に怒られ、年をとっても若い人に怒られる。自分たちの世代の宿命なんでしょうかね」

 2011年の福島第一原発事故以降、原発、特定秘密保護法、沖縄辺野古基地、安保関連法案に反対する集会に足を運ぶたびに、「今日もシニアたちがずいぶん多いなあ」と感じたものだ。彼らはこれまでどんな人生を送ってきたのか。いま、何を考えているのか。

 原発、安保関連法案などに反対する、つまり国の政策に抗う、もっといえば、反体制という左翼的な姿勢を貫くシニア世代(60歳以上)を、シニア左翼と命名し、本書で彼らの生きざま、思想と行動を検証してみた。

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 シニア左翼にはさまざまな形態がある。一貫組、復活組、初参加組、「ご意見番」組の4つに分類してみた。

 一貫組は10代、20代のころから今日まで政治活動を続けている人たちだ。労働組合、共産党、新左翼党派、元党派関係者などだ。その一貫性は「三つ子の魂百まで」だ。

 復活組は60年安保、70年前後の全共闘、ベトナム反戦などの政治活動に関わりながら、長い間、活動から離れた人たちがいる。彼らは原発事故、安保関連法案審議を契機に集会へ戻り、復活を遂げた。評論家の柄谷行人は五十年ぶり、作家の高橋源一郎と神戸女学院大学名誉教授の内田樹は四十数年ぶりに、集会に参加している。

「ご意見番」組とは作家、芸能人など発信力がある著名人で、その時々に起こった出来事に対して反体制的、反権力的な意見を表明してきた人たちだ。益川敏英、大江健三郞、瀬戸内寂聴、赤川次郎、坂本龍一などである。

 初参加組とは、シニア世代になるまで、政治的な運動、発言を行わなかったが、やはり原発事故以降、初めて集会に参加した人たちだ。慶應義塾大学名誉教授の小林節、早稲田大学教授の長谷部恭男は、自民党の政策に近い考えだったが、安保関連法制には我慢がならなかったようだ。

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 シニア左翼にとって、孫、ひ孫のようなSEALDsの登場は大きな衝撃を与えた。60年代に学生運動を経験した者にすれば、当時、自分たちが機動隊にぶつかって連戦連敗だったことを反省してしまう。作家の宮崎学は「SEALDsを無条件に支持する」「自分たちの運動が負けたことを総括できた」と脱帽する。

 一方、SEALDsの「民主主義を守れ」というかけ声に戸惑ったシニア左翼もいた。たとえば、1960年代、ベトナム反戦運動の中心だったベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)は、戦後民主主義を問い質すような意見を示していた。SEALDsはそのスタイルからベ平連と似ていると言われるが、相違点もいくつかある。ベ平連の元活動家の分析をもとに両者を比較してみた。

 さらに、SEALDsを絶対に認めないシニア左翼がいる。中核派、解放派などの新左翼党派の幹部たちだ。その多くは70歳を超える。彼らに現在の革命観、運動論を聞くと共に、内ゲバについても語ってもらった。

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 このように、シニア左翼は少子高齢化社会にあってまだまだ元気だ。

 シニア左翼は若い世代を鼓舞するなど社会を変えるようなインパクトを持ちうるか。60年安保や全共闘の同窓会的な集まりでノスタルジーに浸るだけで終わるのか。日本の社会の行く末を考える上で、彼らをフォローしていきたい。