夏目漱石「君の名を忘れたのではない かき違えたのだ」愛すべき文豪たちの斬新な言い訳 〈BOOKSTAND〉|AERA dot. (アエラドット)

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夏目漱石「君の名を忘れたのではない かき違えたのだ」愛すべき文豪たちの斬新な言い訳

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『すごい言い訳!  二股疑惑をかけられた龍之介、税を誤魔化そうとした漱石』中川越 新潮社

『すごい言い訳! 二股疑惑をかけられた龍之介、税を誤魔化そうとした漱石』中川越 新潮社


「昨日君の所へ絵端書を出した処 小童誤って切手を貼せず 定めし御迷惑の事と存候 然し御覧の通の名画故切手位の事は御勘弁ありたし 十銭で名画を得たり時鳥」


 上記は、日本の文豪・夏目漱石が友人に宛てたハガキの文。意訳すると「昨日、君宛ての絵ハガキの投函を、私の幼い子どもに任せたら、切手を貼らずに出してしまった。きっと君は切手代を取られて迷惑だったと思います。しかし、ご覧の通り私が描いたハガキの絵は、君を喜ばす素晴らしい名画だから、切手代十銭ぐらいの不愉快は許してほしい。十銭で名画を得たり時鳥(ホトトギス)」となるのだが、ここには2つの言い訳が巧みに利用されているという。


 1つは注意不足な子どもの責任であって、漱石自身に非はないという言い訳。もう1つは君は十銭払っただけで名画を手に入れたのだから、むしろ感謝されるべきだと無理やり恩を着せた言い訳だ。しかも文尾にはご丁寧に厚かましい俳句まで添えられている。


 そんな漱石の言い訳について取り上げているのは、中川 越氏の著書『すごい言い訳! -二股疑惑をかけられた龍之介、税を誤魔化そうとした漱石-』(新潮社)。愛すべき文豪たちの「ダメぶり」と「弱さ」をしたためたトンデモ書簡集である。


 著者の中川氏曰く、言い訳とは苦境で発する言葉。切羽詰まると人は思わず素の姿をさらけ出すものであり、それは文豪と呼ばれた文学者たちも決して例外ではない。たとえばまた漱石の話になるが、彼がハガキの宛名を間違えた際にはこんな言い訳を綴ったことも。


「君の名を忘れたのではない かき違えたのだ失敬」(本書より)


 大きな失礼を小さな失礼で隠す、いわば言葉のマジック。明かな過失であっても珠玉の言い訳で乗り切る様は、さすが誰もが知る文豪といったところである。同時に漱石=謹厳な堅物という既成のイメージよりも、ユーモアな人物像が頭に浮かんでこないだろうか。これぞ中川氏が言う「素の姿」なのだろう。


 もちろん漱石に限らず、あの宮沢賢治の言い訳からも意外な人物像が見えてくる。彼といえば「雨ニモマケズ」の印象も手伝い、どこか「欲」とは無縁の抑制的なイメージ。しかし実際は30歳を過ぎても親にお金の支援を求めていたそうで、その際に送った文章は以下の通り。


「第一に靴が来る途中から泥がはいっていまして 修繕にやるうちどうせあとで要るし 廉いと思って新らしいのを買ってしまったり ふだん着もまたその通りせなかがあちこちほころびて新らしいのを買いました。(中略)心理学や科学の廉い本を見ては飛びついて買ってしまい おまけに芝居もいくつか見ましたし とうとうやっぱり最初お願いしたくらいかかるようになりました」(本書より)


 つまり「欲望の赴くままに本や服を買い、おまけに芝居も見たもんだからお金がなくなった。だからお金を工面してほしい」とおねだりしているのだ。もはや欲とは無縁どころか、やりたい放題買いたい放題の煩悩の塊である。我々のイメージにあった「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」の彼は、一体どこへ行ってしまったのか。あるいはこっちの姿が本来の姿なのかもしれない。


 お金つながりで言えば、石川啄木も突拍子もない言い訳を残している。何かと世話になっている親戚に対し、無沙汰を決め込むのは心苦しいもの。だが啄木は無沙汰を詫びる際、意味不明に堂々としていた。


「白状すると、実は此一ヶ月許りの間、君に手紙を書くという事が僕にとって少なからぬ苦痛であった。(中略)何故苦痛だったかというに、僕は何も書かずにいたからだ。芸術的良心とかいう奴が、少なからず麻痺していたからだ。怠けたのではないが、事実は怠けたと同様だ。何も書かずにいて君へ手紙かくのは苦痛だよ」(本書より)


 「音信不通にした理由は、手紙を書くのが苦痛だったため。創作ができないのに手紙なんか書けるわけがない。ゆえに苦痛でしかなかった」と言い訳しているのだ。


 無沙汰を詫びるどころか、私は悪くないと言わんばかりに開き直る啄木。しかも文末には「兎に角この手紙は何の苦痛なしに書いてるから安心してくれ玉え」と謎の配慮まで施されているから尚おかしい。これが現代の一般社会であったら確実に通用しないだろう。もし上司やクライアントに向けた謝罪だったら......考えただけでも恐ろしい。


 しかし不思議と潔さを感じるのもまた事実。啄木といえば「ダメ人間」の印象が強かったが、逆にここまでくるといっそ清々しい。むしろこれぞ啄木といった感じで愛らしく感じる。


 人生最大のピンチ(?)を筆1本で乗り切った文豪たち。時に苦しく、時に図々しい言い訳であるものの、そこから垣間見える彼らの姿は実に興味深い。ぜひ同書で言い訳の奥義を学びつつ、文豪たちのリアルな姿を目撃してみてほしい。


(記事提供:BOOK STAND)

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