二代将軍、徳川秀忠は身長158センチで、髭と胸毛の濃い男性的な体格。三代将軍の家光は157センチの中肉中背。持病として、頭重・頭痛、高血圧、うつ病を患っていたそう。



 四代の家綱は158センチ、乳児期の脳症による心身発達障害が持病。そして、生類憐みの令を発令したことでも知られる五代将軍、徳川綱吉は身長124センチ。いわゆる低身長症であったといいます。綱吉の死因は、が喉に詰まったことによる窒息死。



 六代将軍の家宣は身長160センチの健康体でしたが、その死因はインフルエンザ。幕府の鎖国政策によって、インフルエンザは1614年の流行を境に100年近く止んでいましたが、外国船が姿をみせはじめた1712年に江戸で再び大流行。この際の流行によって、家宣は命を落としたのだそうです。

 ちなみに、江戸期に起こったインフルエンザの流行は27回。当時の医師はインフルエンザを"時気感冒""天行感冒"などと称し、庶民は"お七風""琉球風""アメリカ風"などと呼んで恐れていたそう。



 父である家宣が急逝したため、4歳で将軍の座についた七代将軍家継は、生来虚弱体質。急性肺炎による呼吸不全によって、8歳で命を落としました。



 続く八代将軍吉宗は155.5センチの肥満体。持病として、本態性高血圧、前立腺肥大、右片麻痺があったといいます。九代将軍の家重は、身長156.3センチ。生まれつきアテトーゼ型脳性まひ(不随意運動タイプ)があり手足が不自由、両目に内斜視があり、たえず首をふっていたとのこと。また強く歯ぎしりするため、上下の奥歯に著しい摩耗がみられたそうです。死因は、尿路感染による尿毒症。



 十代将軍家治は、153.5センチ、死因は脚気衝心。江戸初期には将軍から庶民まで玄米を主食としていましたが、中期になると富裕な商人たちは白米を食べるように。その結果、ビタミンB1の欠乏による脚気患者が多発したのだといいます。



 偉人たちの身長・体重や持病といった健康状態、そして死因は何だったのか。思わぬ発見が多々あるはずです。