北國新聞の一面は独特だ。石川の文化・歴史が一面にくることも多い
北國新聞の一面は独特だ。石川の文化・歴史が一面にくることも多い

 昨年11月に身罷(みまか)った私の母は、茶を嗜(たしな)んでいた。専業主婦で4人の子供を育てたが、子供の手が離れてから、50代になって、九州大学の院に入り、千利休の秘伝書として伝わった古伝書『南方録』の研究をし、60代以降は、茶道を自宅で教えていた。

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 その母がお茶に触れることになったのは、もともと母の家が金沢の家系だったからではないかと気がついたのは、3月の下旬に、生涯三度目の加賀入りをしたからだ。

 私の母の家「奥田家」は、加賀藩士の家とは聞いていたが、今回初めて、奥田家に伝わる文書のたぐいを叔母から入手し、ルーツを訪ねる旅をした。その旅の伴走者は、石川県の地元紙「北國(ほっこく)新聞」。

 同紙に講演に呼ばれたわけだが、金沢に入る前に、3週間紙面を送ってもらって気がついたのは、同紙が、「金沢の歴史と文化」をとことん重視して掘り下げ、どんな大きな全国ニュースがあろうと、一面で展開していたことだ。

 たとえば今年2月10日の一面トップの記事は、『「加賀茶道」振興へ調査』という記事だ。<茶道は藩政期からの歴史に裏打ちされた石川の文化として浸透している>として県が茶道人口や指導者の数、茶室や茶会の状況を調べることを報じたもの。

 編集局出身の専務取締役の小中寿一郎(こなかじゅいちろう)は「うちの紙面の評価は、他の地方紙や全国紙からは低いんです」と自虐めいて言うが、しかし、同紙のABC部数の推移を調べてみて驚いた。

 2013年まで紙の新聞の部数を伸ばし続け35万部強、以降はゆるやかに部数を減らしているが、ピーク時から9パーセントしか減らしていない。

 同じABC部数でみても、朝日新聞は、ピーク時が2000年の830万部、それが現在では400万部を切っているから、5割減。地方紙やブロック紙でも約3割の部数を失っている。

 北國新聞が今なお石川の人々に多く読まれているその理由は、確固とした「編集」マインドによる「歴史と文化」をわがこととする紙面にある。

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下山進

下山進

1993年コロンビア大学ジャーナリズム・スクール国際報道上級課程修了。文藝春秋で長くノンフィクションの編集者をつとめた。聖心女子大学現代教養学部非常勤講師。2018年より、慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授として「2050年のメディア」をテーマにした調査型の講座を開講、その調査の成果を翌年『2050年のメディア』(文藝春秋、2019年)として上梓した。著書に『アメリカ・ジャーナリズム』(丸善、1995年)、『勝負の分かれ目』(KADOKAWA、2002年)、『アルツハイマー征服』(KADOKAWA、2021年)、『2050年のジャーナリスト』(毎日新聞出版、2021年)。元上智大新聞学科非常勤講師。

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