室井佑月
室井佑月

 作家の室井佑月さんは、自身のコラムでずっと使ってきた「あたし」という表記をやめるという。その理由は。

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 週刊朝日は5月末までつづくので、私も全力で思いの丈をぶつける。まず、「あたし」と書いていたのを「私」とします。デビュー時から、自分のことを「あたし」と表記していたのだけど。

 それは、27歳でデビューし若かったからでもあるが、自分で書いたものと、インタビュー記事をわける必要があったからという理由もある。

 若くて女であった私は、新聞などでインタビューされると、『識者』でもなく『おじさん』でもない役割を担わされた。

 長いインタビューで使われるのは、話の肝心なところではなく、『識者』や『おじさん』がいわない感情に寄せた部分であった。

 たとえば、なにかの問題があり、それについての評価を求められる。私の発言で強調されるのは、「カッコワルイ」とか「カナシイ」とか、そういう感情的なところ。問題の核心について話した重要な部分は省かれていた。

 そんな中で、私は自分で書いたコラムに「あたし」と使った。自分のコラムでは、もちろんインタビューのように「私の意見」が省かれることはない。「あたし」と書くことで、私は、彼らの求める「あたし」が「私の意見」を持っていると伝えたかった。それに「私」より「あたし」のほうが知的じゃない感じがし、一層、小気味良かった。私にとって重要だったのは、彼らからどう見られるか、それを私がどう感じるかではなく、「私の意見」の中身を多くの人に伝えることだった。

 しかし、私と同じ年齢の中堅どころの物書きの女性は、私と同じような経験もあったろうに、全く真逆の考えのようだ。

 私は自分のコラムに、一定の定義やルールなどなく気のままキモいと次々に個人を弾糾する女性活動家への意見を書いた。その定義を述べよ、と。そしたらそのカウンターとして、『「キモイ」は女性を守るセンサー』という物書きの女性によるコラムが、おなじ社の読み物として載った。なんでも、その女性活動家の感覚センサーが若い女の子たちを守っているんだとか。

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室井佑月

室井佑月(むろい・ゆづき)/作家。1970年、青森県生まれ。「小説新潮」誌の「読者による性の小説」に入選し作家デビュー。テレビ・コメンテーターとしても活躍。「しがみつく女」をまとめた「この国は、変われないの?」(新日本出版社)が発売中

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