横尾忠則
横尾忠則

 芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、健康について。

*  *  *

 僕は元々病弱な肉体で生まれて来たらしく、母乳を飲む力もなかったようで、養母がガーゼに含んだミルクをチョビチョビ、根気よく飲ませてくれたらしい。子供の頃から、よくケガをしたり、病気になって学校を休むことが多かった。大病を患ったのは1970年、34歳の時、足の動脈血栓になって、片足を切断する寸前に病院を逃げだして(車椅子で)、鍼、灸、あんまの東洋医学の先生にかかって、やっと命拾いをしたことがあるが、それ以後も何度も救急車で病院に運ばれることがあった。

 大小病気を合わせると一冊の本が書けるほどだから、『病の神様』なんて本も書いたことがある。病気が日常的な趣味のようになってしまった。そんなわけで今でも病院にはよく行く。常に自分の身体の状況を知ることは、自分自身を知ることでもあった。

 僕の愛読書のひとつに貝原益軒の養生訓がある。養生訓は病気になる前の心得が書いてあって、心と身体を一体化しているところは芸術的でもある。現在でも病気の大半はストレスが原因であるといわれているが、そのストレスは過剰な欲望によることが多く、益軒はそうした内欲をおさえることで天寿を全うすると説くが、芸術も欲望を超越して普遍的な境地を目指す。肉体と精神の離反が病気を生じさせ、芸術にもダメージを与えかねない。

 絵を描くことも一種のストレスになることがあるが、あまり調子に乗り過ぎて暴走すると病気の一歩手前まで行ってしまう。それを気づくのは肉体との対話であるが、つい脳の要求に従ってしまって病気になることがある。だから、脳の意志には余り従わないで、なるべく肉体の要求を優先することにしている。脳は結構エゴ的である。その点肉体は正直でウソをつかないが、脳は損得勘定に長けていて、野心的な生き方が好きだ。

 だから、僕は絵を描く時も、心という観念から解放されて、なるべく肉体の想いに忠実に従うように心がけている。脳は理性的であると同時に感情的で、経験に従うが、肉体は魂に限りなく近い存在であるように思う。さらに僕は無意識状態で知らず知らずにアカシックレコードにアクセスして、そこから創造のエッセンスを受けているような気がすることがある。これは直感とは異なるツールで、現世での経験ではない、魂の経験、というか、過去世での体験が魂を通して肉体に伝わってくるように思う。その点、脳は現世での知識と経験から得る発想である。そんなわけで、僕は脳よりも肉体への信頼度が高い。そこで僕は肉体の脳化という言葉を使うようにしている。

著者プロフィールを見る
横尾忠則

横尾忠則

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。

横尾忠則の記事一覧はこちら
次のページ