早川:そうしたいのかなっていうのはなんとなく察していましたね。90年代までどんどん最新の流行を取り入れてやってたけど、そういうのを無理して続けるのはもう違うって思ったんじゃないかな。あくまで想像ですけどね。

中将:現在、多くの音楽関係者、音楽ファンから「沢田さんが和製グラムロックやビジュアル系の礎になった」という評価が聞かれます。早川さんはこのような評価についてどのように思われますか?

早川:言われて初めて「そうなんだ」って思いましたね。音楽的には好きなグループもいたけど、初期の彼らはそんなに洗練された感じじゃなかったですよね。沢田さんが絶世の美男子なので、比べるとどうしても無理してるなと思っちゃいました。最近は様になってる人もたくさん見るし、また違ってきてると思いますが。

中将:これまで手がけたお仕事で会心の作だと思われるものを三つ挙げてください。

早川:一番うまくいったと思うのは「カサブランカ・ダンディ」かな。あれは「不良アイビー」というイメージで、初めは紺のブレザーを着る予定だったんです。でもシーチングっていう生地で仮縫いしてるといい感じに糸がボロボロ出て、それが格好良かったからそのまま着てもらったんですよ。お金もあまりかかってないし、軽快だし、格好いいチープシックの典型ですよね。あとは「サムライ」「TOKIO」もうまくいったと思ってます。僕がやりたいことと沢田さんが表現したいことがかっちり合っていたと思いますね。

中将:沢田さんとのお仕事でやり残していると思うこと、今後新たに挑戦してみたいと思うことはありますか?

早川:別にないですね。沢田さんには感謝してるんです。仕事に文句を言われることはないし、予算もちゃんと出してくれる。今話していてあらためて思ったけど、きわどいテーマも多かったじゃないですか。でもそういうことも嫌がらずにやってくれる。当時、日本を代表するトップアイドルだったわけで、すごい覚悟の人ですよね。

次のページ
お互いに変な執着がないから成り立ってきたのかも