早川タケジさん(左)と筆者
早川タケジさん(左)と筆者

 今冬、作品集「JULIE by TAKEJI HAYAKAWA – 早川タケジによる沢田研二」を出版する早川タケジさん。早川さんと言えば1973年以来、沢田研二の衣装、アートディレクションを担当し、画家としても世界的注目を浴びる鬼才。そんな彼が自身の"ライフワーク"とも言える沢田との共同作業について語ったインタビューの後編。

【写真】この色気には抗えない…誰がみてもジュリーは別格だった

〉〉【前編】「沢田研二さんには、妖艶というか幻想的というか、体験したことがない種類の魅力を感じた」美の鬼才・早川タケジが語るジュリーとメモリアル作品集

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中将タカノリ(以下、「中将」):1960年代から70年代にかけてはモッズ、ヒッピー、デヴィッド・ボウイと山本寛斎、セックス・ピストルズとヴィヴィアン・ウエストウッドのように、音楽とファッション、主義・主張の結びつきが加速した時代かと思います。早川さんは当時のムーブメントについてどのように感じておられましたか?

早川タケジ(以下、「早川」):僕は音や見た目から入るほうだからあまりメッセージには興味が無いんですよ。歌詞とかもあまり読みませんしね。ヴィヴィアンのデザインも、今見たらいろいろその背景にあったものやメッセージがわかるんだけど、当時はあまりそういうことは気にしてなかった。あえて服を切り刻んだりするのが発想として面白いなと。そういう見方をしていましたね。

中将:「憎みきれないろくでなし」の衣装にパンクファッションの影響が、「ダーリング」のジャケットにロリータ・コンプレックスを暗示するかのような演出が見られるなど、早川さんの作品には非常に先取り感を感じます。当時、早川さんはどのような手段で世界の流行に触れていたのでしょうか?

早川:一般の人はまだあまり読んでなかったけど「VOGUE」や「ELLE」を読めば海外のファッション事情はだいたい把握できました。それ以外にも仲のいい女性モデルたちが各々のルートで最新流行をキャッチしていたので、自然といろんな情報を見聞きしていましたね。「憎み切れないろくでなし」の剃刀のアクセサリーもパリ帰りの山口小夜子がしていたのを参考にしたんです。

「ダーリング」は、当時「VOGUE」にギイ・ブルダンっていうカメラマンがいたんだけど、その人の作風をモチーフにしました。一見派手でカラフルなんだけど、どこか陰鬱な写真を撮る人なんですよ。当時、小さい子供にオートクチュールのまがい物を着せるような演出も流行っていたので、そういう要素もミックスしたらああなったんです。曲の内容とは何の関係もないんだけど(笑)。

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「ナチスを連想する」と批判を浴びた軍服風衣装