原田マハ(撮影/ZIGEN)
原田マハ(撮影/ZIGEN)
映画「キネマの神様」は、8月6日から新宿ピカデリーほか全国公開 (c)2021「キネマの神様」製作委員会
映画「キネマの神様」は、8月6日から新宿ピカデリーほか全国公開 (c)2021「キネマの神様」製作委員会

「父のことを書きたい」。2005年、最初に書いた小説が第1回日本ラブストーリー大賞を受賞したとき、原田マハさんの頭の中には、これから書く小説のいくつかのプロットが浮かんでいた。当時80代だった原田さんの父は、麻雀や競馬に明け暮れ、若い頃から変わらず家族に迷惑をかけまくっていた。でも、その父がどうしようもなければどうしようもないほど、「そのどうしようもなさも含め、愛すべき存在として文章に残しておきたい」という気持ちが高まった。

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「父のことは、心の中にずっと、投げなければいけないボールとして持っていた感じがします。新人作家がどうやってキャリアを積んでいくものなのか、見当もつかなかったけれど、連載という形で自分を鍛えてみたいと思い、『別冊文藝春秋』に父の物語の導入部を書いて、持ち込みました」

 老舗出版社のベテランの編集者と一緒にこの物語を育てていけないか。そんな思いでの持ち込みだったが、当時の編集長は、すぐ「連載しましょう」と言った。原田さんにとっても、「ぶるんぶるんと威勢のいい音を立てて、エンジンがかかっていた」時期。精力的に書きまくった結果、08年で出版された新刊本は7冊になった。そのうちの一冊が、ギャンブル依存症で無類の映画好きでもあった原田さんの父をモデルにした小説『キネマの神様』。壊れかけた家族を映画が救う奇跡の物語だ。

「旧満州生まれで、8歳ぐらいから名画という名画はすべて映画館でリアルタイムに観てきた世代です。80代になっても、CSの映画専門チャンネルで1日3本ぐらい映画を観ていて、その映画評には愛があった。社会的には成功者と言われないような人生を送った父ですが、だからと言って、彼がどうしようもない人かというとそんなことはない。私の兄も作家ですが(小説家の原田宗典さん)、私たちきょうだいに作家となるべき道を示してくれたのは父です」

 映画も好きだが、原田さんの父は大変な読書家でもあった。

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