※写真はイメージです (GettyImages)
※写真はイメージです (GettyImages)

 作家の片岡義男さんが選んだ「今週の一冊」。今回は『盆踊りの戦後史 「ふるさと」の喪失と創造』(大石始著、筑摩選書 1760円・税込み)の書評を送る。

*  *  *

 二〇二一年から逆算して七十六年前、アメリカ軍が徹底的に空爆する東京を逃れた僕は、山口県岩国にあった祖父の家に疎開した。そこで六年を過ごし、東京へ戻る途中、父親の仕事の都合で、広島県呉市で二年を過ごすことになった。一九五一年の秋から一九五三年の夏の終わりだ。

 この呉で過ごした二年間でいまでも覚えているのは、夏におこなわれた盆踊りとその主題歌のようだった『炭坑節』だ。かつての軍港を見おろす崖の縁に沿って、安普請の二軒長屋が何棟もあり、そのまんなかはなににも使われていなかったから、盆踊りの櫓を丸太で組むには最適だった。したがってここに盆踊りの櫓が作られ、ある日突然、盆踊りが始まった。

 二軒長屋の市営住宅は戦争とその敗戦によって行き場を失った人たちの場であり、近隣に住む昔からの住民も参加したとはいえ、なぜあれほどまでに、盆踊りが人々の熱狂の中心だったのか。盆踊りは三日は続き、『炭坑節』が繰り返し再生され、なにかに向けて人々を駆り立てた。あの盆踊りは、いったいなにだったのか。

 謎であり続けた盆踊りと『炭坑節』とは、『盆踊りの戦後史』を読んで、あっさり解けた。もともとの盆踊りは日本各地の固有の文化を取り込んで祖霊を供養するものだった。盆踊りのエネルギーに未婚の男女の性愛が重なり、音頭の歌詞は直截になった。盆踊りで高まった民衆の力が反権力の方向に向くのをおそれた当局は、音頭の歌詞が公序良俗に反するとして、盆踊りの取り締まりを強化した。これによって明治には日本から盆踊りは消えて歴史は途絶えたと言われるまでになった。

 しかし時代は進んでいった。一九二六年にNHKが設立され、一九四〇年までに全国で三十五のラジオ局が出来た。日本各地の盆踊りの音は全国に届き、一般化された。一九三三年から『東京音頭』の大流行があり、日比谷公園でおこなわれた大盆踊り大会は、自分たちで新たに作る盆踊りの手本となった。

次のページ