瀬戸内寂聴 「ノーベル賞を取るように!」と愛する“子ども”に願う

2021/06/24 11:30

 私は必ず小さな頭を撫で、

「ノーベル賞を取るように!」

 と、願をかけています。しかし、彼がノーベル賞を取る時は、私はこの世にはおりません。美男美女の子は、えてして美人ではないものですが、この子はほんとに美男子なのです。私を何と思っているのか、顔を見ると飛びついてきて、抱かれたがります。誕生日がまだなので、ことばはさっぱりです。

 そのうち喋りはじめたら、私は終日、この子と遊んで仕事などできないでしょう。その時は、この子のために、美しい童話を二つ三つ書き残してやりたいと思っています。

 ところで、どちらをむいても、コロナのワクチンの情報で一杯ですね。

 注射の二度めは大変だとのことなので、いささかおびえています。ヨコオさんは私より、痛さに弱いので、自分より心配です。そんな痛いめをしてまで、長生きする価値あるのかなと、百歳まで生きた私は考えこんでしまいますよ、ではまた。

■横尾忠則「呆けを武器に面白く生きていきましょうよ」

 セトウチさん

 年を取ったと自覚するのは肉体の機能が減退することでわかりますが、精神面での自覚はなかなかできません。主観が優先して客観性が失くなっていくんじゃないでしょうか。その証拠に同じことを何度もしゃべったり、同じことを何度も書きます。聞いている方はまた同じことを言う、また同じことを書いている、だけど、いちいちケチつけると相手は老人だから怒り出します。まあ、それを面白がって眺めるしかないんですが、その内だんだん飽きてきて、他人から見離されます。

 とにかく、言動の自覚が失くなるのです。あっ、聞いた聞いた、読んだ読んだ、あきれかえられているのです。第一、自覚意識も他覚意識もそんなもんないのです。でも意識して同じことを何度も言うのは、年と関係ないです。僕は同じ絵を何枚も何枚も意識して描きます。そっくり模写することもあります。この前など、泳いでいる同じ絵を30枚近く描きました。勿論、意識して描いているのです。なぜ同じ絵ばかり描くのかというと、同じ絵の中に変化とズレがあるからです。それがアートです。専門用語で言うと反復によるコンセプチュアルアート(観念芸術)です。オリジナル性に対する批判行為です。

1 2 3

あわせて読みたい

  • 瀬戸内寂聴、98歳「願わくは、死ぬ瞬間まで意識がはっきりして…」

    瀬戸内寂聴、98歳「願わくは、死ぬ瞬間まで意識がはっきりして…」

    週刊朝日

    6/9

    瀬戸内寂聴「困っているのは、死にたいのに死にそうにないこと」

    瀬戸内寂聴「困っているのは、死にたいのに死にそうにないこと」

    週刊朝日

    12/15

  • 瀬戸内寂聴 不倫相手の死に際に駆け付けるも…待ち受けていた現実

    瀬戸内寂聴 不倫相手の死に際に駆け付けるも…待ち受けていた現実

    週刊朝日

    5/17

    瀬戸内寂聴、98歳にして油絵に挑戦 横尾忠則が“達人的”というその出来とは

    瀬戸内寂聴、98歳にして油絵に挑戦 横尾忠則が“達人的”というその出来とは

    週刊朝日

    9/12

  • 数え99歳になった瀬戸内寂聴「長生きも、ほどほどがいい」

    数え99歳になった瀬戸内寂聴「長生きも、ほどほどがいい」

    週刊朝日

    6/1

この人と一緒に考える

コラムをすべて見る

コメント

カテゴリから探す