狂言で口真似という表現があります。「やい汝のことじゃ」「やい汝のことじゃ」というように、こうした芸はもしかしたら老人の反復癖(へき)がヒントになったのかもしれませんね。狂言の口真似は一種の芸なので、もし相手が以前に何度も聞いたことを言いだすと、そっくり口真似して相手に気づかせるのです。例えばこんな風に。「ノーベル賞を取るように!」と口真似をすると、セトウチさんは驚いて、「ノーベル賞を取るように!」なんて私、前にも言った? ということになります。ハイ、僕はこの話を何度も聞いています。「100歳、100歳」は口真似を超えて、もはやお経のようなコンセプチュアルアートです。

 でも、ここまできたら相手に嫌がられるほど意識して口真似連発でいきましょう。文壇の大御所が前年の正月原稿のソックリ文を書いたなんて最高ですよ。この大御所は呆けることで芸術を獲得したんです。セトウチさんも秘書君にいちいちチェックなどしてもらわないで、そのまま入稿して下さい。この前書いた同じ原稿が「また出た」といって読者は大笑いして大喜びしますよ。

 とにかく遊びましょう。前々回この書簡で僕は「遊ぶために生まれてきた」と書きました(今は意識して書いたので呆けていませんよ)。真面目人間は面白くないです。これからは意識して同じことを10回でも20回でも、100回でも繰り返して下さい。そして編集部から下ろされてもいいじゃないですか。その時は「呆けたのかしら」と言ってしまえばいいのです。

 以前、朝日新聞の書評で、同じ文章を口真似のように重ね刷りで二度繰り返した。この時は呆けてませんよ。読ませない書評です。書評に対する批評です。当時の吉村編集長はそれを没にしないで採用して大評判となりました。これからは呆けを心配したり、気にしないで、どうせ呆けていくんですから、呆けを武器に面白く生きていきましょうよ。

週刊朝日  2021年7月2日号