セトウチさんは自信がなく内心おろおろとおっしゃる、それがどないしたんや、批評なんかほっとけって具合にいかないんですかね。

 文学の世界には文壇がありますね。美術も画壇がありますが、そんな窮屈なところでやれまっかいな、で僕は画壇には属していません。

 以前柴田錬三郎さんが、毎日の新聞のどこかに自分の名前が出てない時は淋しい、とおっしゃっていました。それが流行作家のサガらしいですね。セトウチさんは「百だもんね」で批評もおろおろも、へったくれもない百歳人間です。くやしかったら百まで生きてみい、と言ってみて下さい。

 セトウチさんは批評家の批評に内心おろおろはきっと若い証拠ですよ。まだどっかに競争意識があるんですかね。やっぱり若いんですよ。だから病気してもすぐ治るんです。セトウチさんは文学を職業としてとらえておられるように思います。だから気になるんだと思います。僕は絵を職業とは考えていません。絵は趣味です。趣味には社会も外部も他者もいません。だから気になる対象がないのです。考えてみれば子どもの頃から絵は趣味で、そのまま大人になってきたんだと思います。貧乏のどん底の時でも「武士は食わねど高楊枝」なんてカッコイイことを言いながら出世払いで銀座の一流高級テーラーで映画で見たロベール・オッセンそっくりのスーツをオーダーして貴族趣味を満喫していました。これでもし絵に職業意識があったら、こんな陽気なこと言っておれなかったでしょうね。これからも趣味で生きて趣味で死にます。ホナこの辺で。

週刊朝日  2021年6月11日号