

半世紀ほど前に出会った99歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。
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■瀬戸内寂聴「百三歳くらいまで生きるような気がします」
ヨコオさん
ずいぶん留守にした寂庵へ、全く久しぶりに帰って来て、ボーっとしています。寂庵は、まさに天国です。こんな静かな、植物の気がいっぱいの所はないと思います。
長い闘病で、入院ばかりが続いていたので、普通の生活が出来るのが嬉しくてなりません。
自分が四十年も前に選んだデンマークのテーブルの、自分の位置に座って、使い慣れた自分の食器(その一つ一つも自分で選んで買った品)で、好きな家庭料理を食べる時の、安心しきった心のゆとりは、何とも云えません。
九十を過ぎた頃から口癖のように、いつでも死にたいと言っていますが、病気を度々するようになったものの、かならず治り、なかなか死にそうもありません。
今、九十九歳になったようですが、ピンときません。自分が百歳まで生きるなんて、夢にも想像したことがありません。人間の生涯なんて、死ぬ瞬間まで自分自身ではわからないものなんですね。だからこそ、毎朝、目を覚まして、当たり前の顔をして、のこのこ起き上がれるのでしょう。
ヨコオさんは、今、書いているものが自分の傑作だといつか仰っていらっしゃいましたね。そんな自信が持てたら、どんなによいかと、羨ましくなります。もの書きは、本来自信がなく、自分の書いたものへの、読者や批評家の批評に、いつでも内心おろおろしています。
ものを書くだけの収入で生きてきて七十年ほどになります。よくもまあ、私の未熟な作品を買ってくれたものだと、その時々の編集者の恩人の顔を浮かべて胸がつまります。そのほとんどの方々は、すでになくなり、あるいは行方もわからなくなっています。
満九十九歳の誕生日を、つい、この間迎えました。私は生憎、入院中でしたが、寂庵では盛大なお祝いになり、贈られてきたお花で、花屋が何軒も開けそうになったそうです。携帯のカメラで、秘書のマナホがその様子を見せてくれました。毎年のことながら、今年は更に、豪勢だったのは、やはり九十九歳という年齢のせいだろうと、マナホが感心していました。