「死ぬ思い」「地獄」…中村勘九郎、七之助と父・勘三郎の思い出 (1/4) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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「死ぬ思い」「地獄」…中村勘九郎、七之助と父・勘三郎の思い出

坂口さゆり週刊朝日
十七世中村勘三郎 (c)松竹

十七世中村勘三郎 (c)松竹

左から、中村長三郎、七之助、勘九郎、勘太郎 (c)松竹

左から、中村長三郎、七之助、勘九郎、勘太郎 (c)松竹

十八世中村勘三郎(中央、2012年没)と勘太郎(右、当時12歳、現・勘九郎)、七之助(当時10歳)=1993年12月撮影 (c)朝日新聞社

十八世中村勘三郎(中央、2012年没)と勘太郎(右、当時12歳、現・勘九郎)、七之助(当時10歳)=1993年12月撮影 (c)朝日新聞社

 新型コロナウイルスが猛威をふるう中、感染拡大防止策を取って幕が上がった二月大歌舞伎(2月2~27日)。第三部は「十七世中村勘三郎三十三回忌追善狂言」。襲名に並び大切な公演と言われる追善(*)は、中村屋にとってどんな意味があるのか。中村勘九郎と中村七之助兄弟に話を聞いた。

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*追善:死者の冥福を祈るため遺族などが読経・斎会などの善事を行うこと(「広辞苑」から)。

*  *  *
――十七世中村勘三郎は、立役から女方まで芸の広さで知られる。生涯で演じた役は800以上。ギネス世界記録にも登録されている。

勘九郎:中村屋にとって追善は「忘れない」ということです。祖父が勤めていた役、呼吸、技、踊り、というものを忘れない。そして、僕たちには十七代目勘三郎はこんなにすごい人だったんだということを、故人を知らない方たちにも伝える役目がある。祖父を知っている方は懐かしく、まぶたを閉じればまぶたの裏に在りし日の姿が浮かぶように、思い出していただけるのではないかと思います。

七之助:祖父は追善にすごくこだわりがありました。直接聞いていないのでもちろんわかりませんが、例えば「連獅子」を襲名で何カ月できるようにではなく、追善でできるようにと言っていたそうです。

勘九郎:祖父の遺言ですよね。祖父は父に「歌舞伎座で追善ができるような役者になっておくれ」とずっと言っていたそうです。祖父の三十三回忌は父が必ずやると僕たちは思っていたのでそれは残念ですが、僕たちが父の遺志、祖父の遺志を引き継いで、こういう大変な時期でも追善ができるのは、うれしく思います。

――今回選んだ演目は、十七世にゆかりのある「奥州安達原 袖萩祭文」と「連獅子」。前者は、源氏によって滅ぼされた奥州安倍一族の再興を志す貞任と宗任兄弟による復讐(ふくしゅう)劇を軸に、それにかかわる家族の悲劇が描かれる時代物。前半は目の見えない袖萩とその娘お君のけなげさが、後半は袖萩の夫・貞任の豪快さが見どころだ。

勘九郎:祖父は「奥州安達原」を通しでもやりましたが、今見ても素晴らしい。僕が11年前に浅草で演じたときは祖父と同じく、袖萩と貞任の二役を早替りで演じました。父にも、「奥州安達原」は平成中村座で通しをやりたいという夢があったんです。実現はしませんでしたが、袖萩は七之助にピッタリだし、今回は7歳の長三郎が、僕も七之助も演じていない娘お君で、僕が貞任を演じるので、追善にはふさわしい演目だと思いました。


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